選球眼の良い強打の外野手。息子のジュニアもMLBで活躍。
1950年生まれ、ケン・グリフィ・シニア、ブライアン・ダウニング、フランク・ホワイト、グレッグ・ルジンスキーらと同年代。日本では永尾泰憲、大島康徳、井本隆。
サンフランシスコ生まれ。1968年ドラフト1巡目(全体17位)で、地元サンフランシスコ・ジャイアンツに入団。グレッグ・ルジンスキー、ミット・ウィルコックスらが同期。

マイナーではずば抜けた長打を示し、順調に出世。
MLBデビューは1972年9月6日のサンディエゴ・パドレス戦、一番右翼で先発し、2回、中前にタイムリーヒット。投手はビル・グリーフ。打線は6番一塁でデーブ・キングマンがいた。
翌73年、3割をマークして新人王。46%の得票率で2位のスティーブ・ロジャーズの12%を大きく引き離した。
以後も主力選手としてプレーしたが毎年20本60打点.280前後。確実に計算できるが、傑出した数字は出せなかった。
1976年オフにFAとなり、アトランタ・ブレーブスと契約。ウィリー・モンタネス、ジェフ・バローズらのあとを打つことが多かった。79年にはオールスターゲームに監督推薦で出場している。
1981年にボブ・ウォークとのトレードでフィリーズへ。さらに1984年、マイク・ディアズらとの複数トレードでカブスへ。
移籍1年目にリーグ最多の103四球を選び、出塁率1位。
守備は平凡だったが、選球眼が良かった。また故障も少なかった。
セイバーメトリクス全盛の今ならもう少し評価が高かったかも知れない。
1987年、唯一のア・リーグであるシアトル・マリナーズに移籍。8月5日のアスレチックス戦で5番DHで出場し、6回にホセ・リホから安打。これが2000本安打だった。
息子のゲイリー・マシューズジュニアは、1974年生まれ。レンジャース、エンゼルスなどで12年プレーし、1056安打108打点打率.257。親父同様外野手だった。
1966年小川健太郎、全登板成績【エースとしての働き】
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ジュニアはテキサス時代の最終年に素晴らしい成績をあげ、遅咲きのスター誕生か!と期待しましたが、その後は低調に終わりとてもがっかりしたものです。しかし守備はすばらしく、アーリントンのセンターで見せたホームランキャッチは私の中でベストキャッチの1つです。