スイッチヒッターとしてミッキー・マントルに次ぐ本塁打数。非常に安定感のある打者だった。

1956年生まれ。ポ-ル・モリター、デール・マーフィ、ゲーリー・テンプルトン、ボブ・ウェルチ、リック・サトクリフ、日本では早生まれに限れば門田富昭、同級生には河埜敬幸、遠藤一彦、藤田学、大野豊。

1973年、ロック高校からドラフト3巡目全体63番目でボルチモア・オリオールズに入団。デーブ・ウィンフィールド、ロビン・ヨーント、フロイド・バニスターらが同期。ポジションは捕手だった。マイナー時代にUCLAにも在籍した。

キャリアSTATS

E-Murray


すぐに一塁に転向し、長打力で頭角を現す。
1977年の開幕ロースターに載り、開幕戦4月7日のテキサス・レンジャーズ戦に5番DHで先発。7回にバート・ブライレブンから遊撃内野安打。オリオールズ打線は1番中堅アル・バンブリー、2番二塁リッチ・ダウアー、3番右翼ケン・シングルトン、4番1塁リー・メイ、投手はジム・パーマー。

以後、12シーズン、ほぼ3割30本100打点を前後の数字を残し続ける。4歳下のカル・リプケンJrと中軸を組んだ。
選球眼も良く、一塁守備も堅実。穴の少ない打者だった。

1988年オフ、ホワン・ベルなど3選手とのトレードでロサンゼルス・ドジャースに。

同じくオリオールズのブルックス、フランク両ロビンソンや、リプケン、マレー、近くはブリュワーズのライアン・ブラウン、プリンス・フィルダーなど、黒人と白人の強打者コンビが散見されるが、黒人の方が放出される傾向にあるように思う。

初めてのナショナル・リーグ、ドジャースでの1年目は成績が落ちたが、2年目にキャリアハイの.330をマーク。適応力もあった。

91年オフにFAとなり、ニューヨーク・メッツと2年800万ドルで契約。キャリア最高の年俸412.5万ドルを手にする。

93年にFAでクリーブランド・インディアンスに。2年600万ドル。また2年目に好成績。FAとなりインディアンスと再契約した96年シーズン中にケント・メッカーとのトレードでオリオールズに復帰。
97年はエンゼルス、ドジャースとロサンゼルスのチームでプレー。

3000本安打はインディアンス時代の1995年6月30日のミネソタ・ツインズ戦。5番DHで先発し、6回にマイク・トロンブリーから右前打。
2番遊撃オマー・ビスケル、4番左翼、アルバート・ベルだった。

1997年9月20日に引退を表明。

殿堂入り資格1年目の2003年に85.28%の得票率で選出された。
左打席で362本塁打、打率.293、右打席で142本塁打、打率.276だった。



1966年小川健太郎、全登板成績【エースとしての働き】



nabibu-Yakyu01
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!


好評発売中