ベース・ルース以前の大打者。二塁守備の名手。タイ・カッブのライバルでもあった。

1887年生まれ。明治で言えば20年。同年生まれにはハリー・フーパー、クライド・ミラン、ウォルター・ジョンソン、ピート・アレキサンダー。日本で同年生まれの野球選手はいないが、横綱鳳谷五郎、石井鶴三、山本有三、渡辺勇次郎など。

コロンビア大学在学中の1906年独立リーグのピッツバーグに入団。

キャリアSTATS

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同年、コニー・マック率いるフィラデルフィア・アスレチックスに入団。
1908年に二塁の正位置を獲得する。三塁には同じく殿堂入りしたジミー・コリンズがいた。
1909年、打撃が急速に向上し、タイ・カッブに次ぐ2位となる。
翌年、盗塁王。
1911年、一塁スタッフィ・マッキニス、二塁エディ・コリンズ、三塁ホームラン・ベイカー、遊撃ジャック・バリーの「10万ドルの内野陣」が誕生。
1914年には首位打者に輝き、MVPとなる。

しかしコリンズは、このオフに5万ドルでシカゴ・ホワイトソックスに譲渡される。アスレチックスの二塁は40歳のナップ・ラジョイになる。

30代にさしかかってコリンズの打率は下落するが、1919年から再び上昇。この年ホワイトソックス・スキャンダルが勃発。コリンズは関与していないが、チームは大打撃を被る。
1923、24年に2年連続盗塁王。36,37歳でのタイトル。
1924年からはプレイング・マネージャーとなるが1926年11月にリリースされ、翌年1月、アスレチックスと契約。
成績は下落したが、なおも4年、現役を続けた。

3000本安打は1924年6月6日のニューヨーク・ヤンキース戦。
3番二塁で先発し、サッド・サム・ジョーンズから安打を打つ。
ヤンキースの3番は左翼ベーブ・ルース、4番右翼でボブ・ミューゼル。

1930年限りで引退。ホワイトソックスのGMになる。
1937年殿堂入り選出が始まるが、1年目57.2%(5位)、2年目66.8%(4位)、3年目の1939年に77.7%(2位)で殿堂入りした。



1964・65年渡辺秀武、全登板成績【初勝利を完封で飾るもその後は・・・】



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