投高打低の時代に傑出した成績を残したレッドソックスのフランチャイズ・プレイヤー。三冠王も獲得し、人気も素晴らしかった。
1939年生まれ、ルー・ブロック、トミー・デービス、フィル・ニークロ、ミット・パッパス、日本では安藤統男、前田益穂、森中千香良、宮田征典 、石井晶ら。王貞治より1歳上。
1958年ノートルダム大メリマック校からレッドソックスに入団。
キャリアSTATS

2年でマイナーを卒業し、1961年の開幕戦、カンザスシティ・アスレチックス戦で5番左翼で先発。第1打席の2回に、左前打。投手はレイ・ハーバート。レッドソックスの捕手はラス・ニクソン。アスレチックスの2番遊撃は、ディック・ハウザー。
1年目から規定打席、3年目に首位打者、最多安打。
この頃は本塁打は少なく、ライナー性の打球が多い中距離打者だったが、1967年44本塁打、121打点、.326で三冠王。
本塁打はハーモン・キルブリューと同数、打点はキルブリューと8点差、打率はフランク・ロビンソンと.015差。
本塁打、打点のタイトルはこの1度限り。少ないチャンスをものにした形だ。当然、MVPに選ばれる。
1960年代後半、リーグ打率は.230台、投手優位が続いていた。翌68年の.301での首位打者は最低打率。2位のダニー・カーターは.290、3位のトニー・オリーバは.289だった。
外野手としても優秀で、毎年のように二桁捕殺、ゴールドグラブの常連だった。
流れるような美しいスイングは、当時、MLBファンデビューを果たした日本のファンをも魅了した。「昔の大打者」の風格があった。
テッド・ウィリアムスの後継者と言って良いのではないか。
30歳まではリーグ屈指の強打者だったが、次第にパワーが衰え、成績も平凡なものになっていく。しかし人気は絶大で、オールスターに選出され続けた。
1973年からは一塁を守ることが多くなる。
3000本安打は1979年9月12日のニューヨーク・ヤンキース戦。3番一塁で先発し、8回にジム・ビーティから右前打。2番二塁にテッド・サイズモア、4番左翼にジム・ライス、8番右翼にドワイト・エバンス、ヤンキースの4番は右翼レジー・ジャクソン。
70年代後半から、ヤストレムスキーの後継者が話題になる。ジム・ライス、フレッド・リンらの名前が挙がる。とりわけリンは白人で、人気もあり「アナザー・ヤズ」と呼ばれ、首位打者も獲得したが期待外れに終わった。
デビュー年から19年連続規定打席以上、43歳で引退した年もオールスターに選ばれた。
資格取得1年目に94.63%で殿堂入りした。
1966年若生忠男、全登板成績【好リリーフで3年ぶりの2ケタ勝利】
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コメント
コメント一覧
ヤズと言えば、入団前に憧れのヤンキースのクラブハウスを訪問したら冷たくあしらわれて、怒ってボストンに入団したと聞いたことがあるのですが、何か最近はこのエピソードは聞かなくなったような。本当ですかね。
別の話では、ヤンキースでは有名選手が多いので出場機会が多くないだろうと考えレッドソックスを選んだともあり、多分に「ホントの様なウソ」なんでしょうね。
*当時はドラフトが無かった
彼のキャリアは、まさに「息の長い」フランチャイズプレーヤーというに尽きます。
三冠王獲ったのに、通算では本塁打が400本台だったのには驚いた位です(偶然ながら長打率は松井のキャリアとほぼ同じ)。
ただ選球眼の良さは流石です。
なおフランチャイズプレーヤーだった事もあり、1球団でのMLB記録は必然的に上位になります。
安打数はリーグ3位も流石ですが、出場試合数はMLB1位(そもそも全体でも2位)で、今のMLB環境では記録更新は難しいでしょう。
*なおALのみでの、「3000安打&400本塁打」達成者は、他にリプケンがいるのみ
返信ありがとうございます!
そうですよね。そんなわけ無いですよね。自分の将来ですもの。でも、ひょっとしたらヤズなら…と想像してしまったりして。
ヤズは凄く好きな選手です。晩年頃しか見れませんでしたが、常に一塁までの全力ダッシュは覚えています。
あくまで個人的感想ですが、晩年の秋山幸二とかぶって見えました。