身体能力の高い大型外野手。
1947年6月生まれ。同い年にカールトン・フィスク、ホセ・クルーズ、ダレル・エバンス、ジョニー・ベンチ、エイモス・オーティス、ノーラン・ライアン、ジーン・ガーバー。若松勉、山中正竹、安田猛、江本孟紀、水谷実雄。
1967年1月ドラフトでニューヨーク・メッツに1巡目(全体3番目)で指名され入団。
キャリアSTATS

今は珍しくもないが、当時としてはずば抜けた長身。それもあってかマイナーでは一塁も守る。
4年目にMLBに昇格。
初出場は、70年6月24日のシカゴ・カブス戦、3番左翼で先発。
初安打は6月26日のモントリオール・エキスポズ戦で3番左翼で先発し、先発スティーブ・レンコから5回にタイムリー中前打。
デビュー当初から3番を打つ。
外野手としても守備範囲が広く、強肩。
スイッチヒッターであり、左で.291、185本塁打、右で.260、59本塁打。
1972年開幕直後に大型トレードでモントリオール・エキスポズへ。
2年目に100打点を挙げる。
1974年にこれまた大型トレードでボルチモア・オリオールズへ。
ここから全盛期。傑出した成績は挙げなかったが、毎年.280、20本塁打、80打点前後が計算できた。また選球眼も優秀で100四球を通算で4回記録している。
77年に日本でMLBの中継がはじまったころは、バリバリのスター外野手だった。
1979年にはMVP投票でドン・ベイラーに次ぐ2位に入っている。
この年は3番シングルトン、4番エディ・マレーだったがリーグ最多の16敬遠。シングルトンを敬遠して荒っぽい若手のマレーと勝負することが多かったのだ。
1983年ワールドシリーズチャンピオン。
1984年6月26日のボストン・レッドソックス戦で2000本安打。7番DHで出場し、7回にアル・ニッパーから記録。
カル・リプケンが中軸打者として台頭していた。
まだやれると思ったが、この年FAになるとあっさり引退。今は解説者。
息子のジャスティン・シングルトンはマイナーリーガーに終わった。
1974年松岡弘、全登板成績【13年ぶりAクラス入りに4年連続2ケタ勝利で貢献】
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