ブルージェイズの4番と言えばこの人。RBIイーターだった。
1972年6月生まれ。昨日のラウル・イバニェスと同じ。イチローより1歳上。チッパー・ジョーンズ、マニー・ラミレス、ギャレット・アンダーソン、日本では入来祐作、西口文也、稲葉篤紀、村松有人、木村拓也、和田一浩、大塚晶則が同年。
プエルトリコ出身。1988年16歳でトロント・ブルージェイズと契約。
キャリアSTATS

マイナー時代から長打力はずぬけていて、トップ・プロスペクトと目された。
マイナーではずっと捕手。他のポジションは守っていない。
データを見るとパスボールが多く、守備はあまり得意ではなかったようだ。
1993年21歳でMLB昇格。初出場は10月1日のボルチモア・オリオールズ戦。捕手として守備固めに入る。
初安打は94年、4月4日の開幕戦、シカゴ・ホワイトソックス戦に6番左翼で先発、2回、ジョン・マクダウェルから三塁内野安打。
95年までは左翼を守ったが、翌96年、DHと一塁でレギュラー定着。荒っぽいが、当たれば大きい長距離打者として活躍。
当時のスカイドームは人工芝でイレギュラーは少なかったが、一塁手としては反応が鈍く、守備面での評価は高くなかった。
しかしチャンスでは絶対的に強く、98年から5年連続で100打点。捕手出身だけに相手バッテリーのインサイドワークを読むことに長けていると言われた。
2003年には145打点で打点王。翌2004年、FAに。4年総額5200万ドルでフロリダ・マーリンズに。
しかし早々にリストラモードに入ったマーリンズによって、2006年、メッツにトレードされる。
マーリンズは残り年俸のうち700万ドルを負担しただけでトレードで中堅クラスの投手と野手、マイナー選手を獲得した。メッツの商売下手が話題になった。
しかしメッツでは、同じプエルトリコ人のカルロス・ベルトラン、デビッド・ライトとともに100打点を超え、強烈な打線を形成、地区優勝に貢献した。
2006,2009年のWBCではプエルトリコ代表として活躍。
メッツでは3年間、主軸打者として活躍。しかし2009年股関節の故障で離脱、手術をしたがMLBに復帰することなく引退した。
2008年9月21日のアトランタ・ブレーブス戦、4番一塁で先発し、1回に右翼へタイムリー二塁打、これが2000本安打。投手はジェームズ・パー。
全盛期の充実ぶりからすれば、あっけない引退という感じだ。
プエルトリコ出身では安打数はロベルト・クレメンテが1位だが、本塁打はデルガドの473本が1位である。
1967~72年流敏晴、全登板成績【エース達の壁は厚かった】
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コメント
コメント一覧
勇気あるなあーと思って見ていました。
手首を軽く返しただけで、とんでもない打球を放つパワーは素晴らしかった。守備、走塁の評価は悪く、タイトルも打点王の1度だけですが、積上げた数字は473HR、打率280、OPS929…、もしかしたら殿堂入りも有り得るかと思いましたが、資格1年目でまさかの1発アウト…
500HRまで27本届かないだけでこれほど扱いが変わるものでしょうか?納得できないファンは多いですね。