この年を上回る大豊作ドラフトは二度とないのではないか。投打ともにまさに壮観だ。
打者、安打を打った選手を全部出す。

51人が安打を打った。2000本以上が5人、1000本以上が9人。67年は2000本以上0、1000本以上5人、66年は2000本以上0、1000本以上4人、65年は2000本以上が1人、1000本以上が3人だった。
その充実ぶりがありありとわかる。
1位が世界の盗塁王福本豊、2位がミスター赤ヘル山本浩司、3位が大島康徳、4位がミスターロッテ有藤通世、5いが加藤秀司、一世を風靡した選手ばかり。
さらに田淵幸一、島谷金二、藤原満、富田勝。
大卒のスター選手が2人も2000本に達した。それまでは長嶋茂雄だけだった。
大田卓司、大橋穣、水沼四郎も球史に残る個性派選手だ。
1000試合出場も15人。何とも分厚い。
こういう表を前にすれば、あまり説明はいらないように見える。ご鑑賞あれ。
1964・65年中山義朗、全登板成績【巨人キラー、ノーヒットノーランを達成】
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51人が安打を打った。2000本以上が5人、1000本以上が9人。67年は2000本以上0、1000本以上5人、66年は2000本以上0、1000本以上4人、65年は2000本以上が1人、1000本以上が3人だった。
その充実ぶりがありありとわかる。
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さらに田淵幸一、島谷金二、藤原満、富田勝。
大卒のスター選手が2人も2000本に達した。それまでは長嶋茂雄だけだった。
大田卓司、大橋穣、水沼四郎も球史に残る個性派選手だ。
1000試合出場も15人。何とも分厚い。
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コメント
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指名されると思い込んでいた星野仙一が、「なに、島野? 星野の間違いだろう」と言ったのもなつかしいエピソードです。
それを最初に行った方がこの中にいるということが空前絶後の
査証ではないでしょうか。
阪神は狙っていた山本浩司を広島に先に指名されて田淵に方向転換。山本は田淵よりも実戦向けの選手として既にスカウト達の評価が高かったそうですが、30代になってから流し打ちの本塁打を量産するコツを身に着けて通算本塁打数でも田淵を上回ってしまったのは驚きでした。
阪急はドラフトで最もくじ運が悪い球団でしたが、この年の大成功は運の悪さを穴埋めしてお釣りがくるほどの成果が。1970年代になると目ぼしい新人選手が少なくなり各球団ともに補強が悩みの種になったこともあって、この年入団の選手達がプロ野球の勢力図を塗り替える主役になっていきますね。