この選手は、今もMLBでプレーしていてもおかしくない。残念で仕方がない。
1979年2月生まれ。1979年の早生まれには、金澤 健人 、林 威助 、李 惠踐 、久本 祐一、阿部 慎之助、廣瀬 純、MLBではエイドリアン・ベルトレ、アダム・ダン、マーク・バーリ。
1996年、宇和島東高からドラフト2位でヤクルト入団。
キャリアSTATS

1年目は1軍出場なし。
初出場は、1998年5月19日、ハマスタの横浜戦、7番・三塁手で先発出場。この年は1試合だけ。
初安打は、1999年4月3日、ハマスタの横浜戦、7回表に伊藤智仁の代打で出場、斎藤隆から二塁内野安打。
はじめに売り出したのは、三塁守備。俊敏で判断が良いフィールディングは見ていて気持ちが良かった。
小柄だが、フルスイングが特徴。右と左の違いはあるが、山田哲人にも通じる思い切りのよい打者だった。三振数は増大したが、それとともに本塁打も増えた。
勢いを感じる打者であり、ヤクルト伝統の「1」を背負うにふさわしい打者だった。
1000本安打は2006年7月17日神宮球場の広島戦、3番三塁で先発し、7回裏に佐竹健太から右前打。
2006年オフ、ポスティングシステムでMLBに。
2007年は、タンパベイ・デビルレイズでプレー。若いチームにあって、リーダー格で頑張った。
きっかけとなったのは開幕3試合目4/6のブルージェイズ戦、自身のデビュー戦での4打数4安打1本塁打の馬鹿当たりだろう。
これでチームメイトの信頼を得て、ここから快調に飛ばした。打順は一番、三振を恐れず、積極的に振っていくリードオフマンだった。
2008年はエバン・ロンゴリアに三塁を譲り、二塁手となるが、1試合を除いて1番に固定され、まずまずの成績。チームはこの年からレイズとなった。強豪へと進化するチームにあって、中心選手だった。
2009年はWBCにも出場。打順はアップトンの加入により下位に回るが、開幕から好調だったが、5/24の交流戦、マーリンズ戦でクリス・コグランのタックルを二塁で受けて左膝前十字靱帯断裂の重傷を負う。
ここから岩村の野球人生は暗転するのだ。
MLBでは成績が急落し、2011年にNPB復帰。松井稼頭央とともに楽天に入団するが、勢いは消えて起用に応えられず。
古巣ヤクルトに戻るも、成績は戻らず、2014年限りでNPBを戦力外となり、新たにできた福島ホープスの選手、監督、代表になって現在に至る。
27歳で1000本安打を打ちながら、NPBの通算安打は1172本、MLBは413本。
岩村は、環境に合わせて打撃を変えてきた。適応能力が極めて高かった。根源的な運動神経が素晴らしかったのだろう。
クリス・コグランとの事件がなければ、今もMLBでプレーして、イチローに次ぐ2000本安打を記録していたかもしれない。岩村が成功していれば、その後の日本人野手に対するアメリカの評価も変わっていたはずだ。
NPBに復帰したとしても、2000本は軽く打っていただろう。
コグランは新人王のタイトルをもっているが、成績が安定せず、MLBでは中途半端な存在だ。2015年には姜正浩の足を骨折させるタックルを行っている。アジア人ばかりを狙ったわけではないだろうが、疫病神のような選手だと思う。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
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1996年、宇和島東高からドラフト2位でヤクルト入団。
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1年目は1軍出場なし。
初出場は、1998年5月19日、ハマスタの横浜戦、7番・三塁手で先発出場。この年は1試合だけ。
初安打は、1999年4月3日、ハマスタの横浜戦、7回表に伊藤智仁の代打で出場、斎藤隆から二塁内野安打。
はじめに売り出したのは、三塁守備。俊敏で判断が良いフィールディングは見ていて気持ちが良かった。
小柄だが、フルスイングが特徴。右と左の違いはあるが、山田哲人にも通じる思い切りのよい打者だった。三振数は増大したが、それとともに本塁打も増えた。
勢いを感じる打者であり、ヤクルト伝統の「1」を背負うにふさわしい打者だった。
1000本安打は2006年7月17日神宮球場の広島戦、3番三塁で先発し、7回裏に佐竹健太から右前打。
2006年オフ、ポスティングシステムでMLBに。
2007年は、タンパベイ・デビルレイズでプレー。若いチームにあって、リーダー格で頑張った。
きっかけとなったのは開幕3試合目4/6のブルージェイズ戦、自身のデビュー戦での4打数4安打1本塁打の馬鹿当たりだろう。
これでチームメイトの信頼を得て、ここから快調に飛ばした。打順は一番、三振を恐れず、積極的に振っていくリードオフマンだった。
2008年はエバン・ロンゴリアに三塁を譲り、二塁手となるが、1試合を除いて1番に固定され、まずまずの成績。チームはこの年からレイズとなった。強豪へと進化するチームにあって、中心選手だった。
2009年はWBCにも出場。打順はアップトンの加入により下位に回るが、開幕から好調だったが、5/24の交流戦、マーリンズ戦でクリス・コグランのタックルを二塁で受けて左膝前十字靱帯断裂の重傷を負う。
ここから岩村の野球人生は暗転するのだ。
MLBでは成績が急落し、2011年にNPB復帰。松井稼頭央とともに楽天に入団するが、勢いは消えて起用に応えられず。
古巣ヤクルトに戻るも、成績は戻らず、2014年限りでNPBを戦力外となり、新たにできた福島ホープスの選手、監督、代表になって現在に至る。
27歳で1000本安打を打ちながら、NPBの通算安打は1172本、MLBは413本。
岩村は、環境に合わせて打撃を変えてきた。適応能力が極めて高かった。根源的な運動神経が素晴らしかったのだろう。
クリス・コグランとの事件がなければ、今もMLBでプレーして、イチローに次ぐ2000本安打を記録していたかもしれない。岩村が成功していれば、その後の日本人野手に対するアメリカの評価も変わっていたはずだ。
NPBに復帰したとしても、2000本は軽く打っていただろう。
コグランは新人王のタイトルをもっているが、成績が安定せず、MLBでは中途半端な存在だ。2015年には姜正浩の足を骨折させるタックルを行っている。アジア人ばかりを狙ったわけではないだろうが、疫病神のような選手だと思う。
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コメント
コメント一覧
覚えている人もいないでしょうが、阿部へのタックルは、仮にメジャーでも論争を巻き起こすような危険なタックルだったと思います。
そのようなことがあったのですね。長く太く選手としての時間を全うするにはそういったプレーの積み重ねなのかもしれませんね。といっても仕方のないことかもしれませんが……
井口も日本人内野手の評価を変えた選手とされていますが、WS優勝した1年目以降メジャーでの成績は下がっていました。岩村は成績も安定していましたし、守備もやれていました。たらればになりますが、ケガしていなければを思わせる選手ですね。
姜正浩も怪我は気の毒でしたが、その後はグラウンド外でトラブル続きなのが残念です。
日本では強打者クラスだった岩村も、メジャーリーグでは本塁打のペースが一気に8割減少。ただし二塁打のペースは変わらず三塁打のペースは大幅アップしています。野手の頭上よりも間を抜く打撃への転換は、確かにかなりの線まで成功していましたね。
ちなみにパワーの減少は確かにあるのですが、それはかなり出塁に力点を置いた結果であって、実は日本人の左打者としては唯一シーズン複数回のグリーンモンスター超えHRを打っていたりとできなくはないことは見せていました。