「1」「3」「4」が永久欠番になっている中で、「0」を除けば一番若い数字。日本ハムからFA移籍する陽 岱鋼に与えられるという。
私の世代では巨人の「2」と言えば体の大きなユーティリティの上田武司だが、公式には18人いるという。
その成績を示す。

初代の矢島粂安は、松本商業出身。のちに繁原姓となる。1926年選抜大会の松本商業対高松商業戦で、同点から「サヨナラランニング3ラン」を放っている。主催者毎日新聞が全力疾走で走った矢島をたたえて、ルールを無視して本塁打に認めたというもの。俊足の外野手だった。早稲田大学、清水建設を出て大日本野球倶楽部(後の巨人)に入り、背番号2をつけたが、プロ野球が始まる前に退団。のち戦死している。
公式戦に出た初代は津田四郎。内野手だが捕手も務めた。のちセ・リーグ審判。
有名なのは早稲田大学のスター選手だった広岡達朗だろう。大型遊撃手として鳴り物入りで入団。デビューから現役引退まで「2」。王の「1」長嶋の「3」とともに花形の背番号になるが、永久欠番というほどの成績は残していない。
V9時代後半からはユーティリティ上田が付ける。
盗塁王松本の背番号としてもなじみが深いが、阪急から移籍した蓑田以降は、外国人のブラッドリー、元木大介を除いて、他球団から移籍した大物選手の背番号という印象が定着した。
通算成績の大半は広岡が持っているが、長打系は小笠原道大。晩年は惨めだったが、巨人のFA移籍では最も成功した一人だと思う。
陽 岱鋼は小笠原が、巨人に移籍した年に旧名の陽仲壽で一軍デビューしている。小笠原は33歳での巨人移籍。陽は来年1月17日で30歳。
広岡や小笠原の通算成績を抜く可能性もあるだろう。
金満FAそのものはばかばかしいとは思うが、やるからにはめいっぱい活躍してほしいものだ。
ベースボールチャンネルの駒田英さんの陽の記事 私が取材した
1973年加藤初、全登板成績

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!


その成績を示す。

初代の矢島粂安は、松本商業出身。のちに繁原姓となる。1926年選抜大会の松本商業対高松商業戦で、同点から「サヨナラランニング3ラン」を放っている。主催者毎日新聞が全力疾走で走った矢島をたたえて、ルールを無視して本塁打に認めたというもの。俊足の外野手だった。早稲田大学、清水建設を出て大日本野球倶楽部(後の巨人)に入り、背番号2をつけたが、プロ野球が始まる前に退団。のち戦死している。
公式戦に出た初代は津田四郎。内野手だが捕手も務めた。のちセ・リーグ審判。
有名なのは早稲田大学のスター選手だった広岡達朗だろう。大型遊撃手として鳴り物入りで入団。デビューから現役引退まで「2」。王の「1」長嶋の「3」とともに花形の背番号になるが、永久欠番というほどの成績は残していない。
V9時代後半からはユーティリティ上田が付ける。
盗塁王松本の背番号としてもなじみが深いが、阪急から移籍した蓑田以降は、外国人のブラッドリー、元木大介を除いて、他球団から移籍した大物選手の背番号という印象が定着した。
通算成績の大半は広岡が持っているが、長打系は小笠原道大。晩年は惨めだったが、巨人のFA移籍では最も成功した一人だと思う。
陽 岱鋼は小笠原が、巨人に移籍した年に旧名の陽仲壽で一軍デビューしている。小笠原は33歳での巨人移籍。陽は来年1月17日で30歳。
広岡や小笠原の通算成績を抜く可能性もあるだろう。
金満FAそのものはばかばかしいとは思うが、やるからにはめいっぱい活躍してほしいものだ。
ベースボールチャンネルの駒田英さんの陽の記事 私が取材した
1973年加藤初、全登板成績

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!
コメント
コメント一覧
どうせならば期待の若手とポジションが被らないようにしてほしいものです。
勝ちながら育てるは、安定した成績を残せる選手がいながら若手を育てるのが近道かと思います。
被ったとしても坂本や松本哲也が出てきた時も小笠原やラミレス、阿部慎之助や谷がいましたからね。
今の巨人でその役目をこなせるのはもう坂本くらいか。
そう思うと、2年目で全試合に出て20ホームランを記録した松井はやはり凄かったんだなぁと思います。
頑張って頂きたいです