斎藤佑樹の奮起を促しているともいえるが、投手の番号としては異例の「1」にするところに、彼を扱いかねている球団の苦労を見ることもできよう。
1946年に誕生したセネタースに端を発し、東急、急映、東映、日拓と名前を変えてきた日本ハム。すでに日本ハムになって来年で43年。
この間、背番号「1」をつけたのは16人。斎藤佑樹で17人目だ。
打撃成績

投手成績

初代長持はこの年28歳でプロ入り。奇行でも知られた名物男だったが、引退後、埼玉県大宮工業を選抜で初出場、初優勝させた監督としても知られる。浦和学院監督としても一時代を築く。
大沢紀三男は大沢親分の次兄。
米川泰夫はのちにエースとなるが、この球団で斎藤佑樹以前に「1」を背負った唯一の投手。
以後の選手では大下剛史が名高い。俊足の名内野手だったが、広島移籍1年目で赤ヘルが初優勝したのが印象的。
菅野光夫は守備の人、早くに亡くなった。
広瀬哲朗は下積みが長かったが、のちにチームリーダーとなる。
MLB帰りのSHINJOからあとは、花形外野手がつける背番号になっていた。
今回の斎藤佑樹の背番号「1」は、違和感がある。
一から出直しともいえるし、ここでマイナス評価だと後がないとも考えられる。
この背番号をどうとらえるか、本人次第ではあろう。
1973年加藤初、全登板成績

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この間、背番号「1」をつけたのは16人。斎藤佑樹で17人目だ。
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初代長持はこの年28歳でプロ入り。奇行でも知られた名物男だったが、引退後、埼玉県大宮工業を選抜で初出場、初優勝させた監督としても知られる。浦和学院監督としても一時代を築く。
大沢紀三男は大沢親分の次兄。
米川泰夫はのちにエースとなるが、この球団で斎藤佑樹以前に「1」を背負った唯一の投手。
以後の選手では大下剛史が名高い。俊足の名内野手だったが、広島移籍1年目で赤ヘルが初優勝したのが印象的。
菅野光夫は守備の人、早くに亡くなった。
広瀬哲朗は下積みが長かったが、のちにチームリーダーとなる。
MLB帰りのSHINJOからあとは、花形外野手がつける背番号になっていた。
今回の斎藤佑樹の背番号「1」は、違和感がある。
一から出直しともいえるし、ここでマイナス評価だと後がないとも考えられる。
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1973年加藤初、全登板成績

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コメント
コメント一覧
斎藤がものにならなくても球団の育成が疑われるようなことはもはやないですし、素行は最近やや心配ですがまあ大丈夫でしょう。他方では彼の可能性として、中継ぎで活躍するレベルでもライトファンは喜ぶでしょう。そういう意味で斎藤佑樹ブランドはものすごい(経済的or文化的)価値があり、これは才能と言い換えて差し支えないです。まさに天与の才。
肝心の野球の実力が微妙すぎますが、まあこればかりはほとんどのプロ選手に言えることですからね。個人的には叩かれる意味が分かりません。
とにかくなんでもいいからモノになってくれ、これが球団含め関係者の切なる願いでしょう。
>kabuさん
18番の外野手と言えばジョニー・デーモンを思い浮かべました。彼のようになって欲しいという球団の期待でしょうか。あるいは、「おかひろみ」だけに、「エースをねらえ」という説もあるようですが……
あと菅野光夫さんといえば寮長としてダルビッシュを更生させましたね。広瀬哲朗はファイターズ北海道移転時には北海道で解説者をやったり北海道独立リーグ構想を計画してましたがが頓挫して見なくなりました。
「エースをねらえ」説ですと?! 嘘であってほしい・・・