金田正一にはじまる栄光の「34」は、継承されることはなかった。
1950年創設の国鉄スワローズ、サンケイ、ヤクルトの「34」の選手の成績。

34-YS


金田正一は、国鉄では353勝。1球団で上げた勝ち星としても1位。65年に10年選手の特権で巨人に。
この年に国鉄も球団を手放したこともあって、永久欠番にならなかった。

それから後の扱いは粗略だったと言ってよい。

次にこの番号を背負ったのは南海から移籍した実績のない内野手東条文博。のちにレギュラーとなるが、このころはまだ若手。2年で「38」に変更。

続いてしぶとい巧打者だった福富が「12」から「34」に。この変更もよくわからない。

三橋豊夫はドラフト2位の左腕。金田の再来を期待されたが、活躍できず。

1977年の黒坂も新入団の左腕だが、これも活躍することなく引退。

1年、間を置いて長身右腕の高野。これはまずまずの活躍だったが93年にダイエーに移籍。

翌年は外国人野手クラークが付ける。

95年はドラ1逆指名の北川がつけるが、これも期待を裏切る。

以後は外国人投手が代々つける背番号になる。

2009年にドラフト2位の八木が付けるが2年間一軍登板なく、3年目に「70」になる。

バーネットは2010年に先発投手として入団、このときは「64」だったが、翌年救援に転向して「34」となる。
NPBで投球を覚えた選手だった。
バーネットがMLBに移籍すると、今年は先発のデイビーズが付けるが活躍せず。
来年はオーレンドルフと決まった。

球団は「34」を伝統の番号にすべく、何度か有望選手に与えたが、それにこたえる選手はあまりいなかった。
金田はセーブ、ホールド、盗塁を除く投打のすべての記録で1位だ。

本人はこのように言っている。

ヤクルト34番は不運 金田正一「永久欠番にしなかったから」


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