まことに意外に思うのだが、「野球の複雑なルールや、試合時間の長さが、野球離れにつながっている」という論調が一定数あるようだ。


当サイトにコメントされる方は、おかしな人を除いて、一応「野球ファン」だと思うが、だとすればあなたは今まで、何が好きで野球を見てきたのだろうか。
「複雑なルールに悩まされつつ」「長い試合時間にうんざりしながら」我慢して野球を見てきたのだとすれば、「大変でしたね」とねぎらいの声をかけたいが、同時に「そんなに無理しなくてもいいですよ」と言ってあげたい。

確かに野球というルールは複雑で細かい。だから知能の発達段階にある幼児には理解が難しい。
だから小学校には「ベースボール型球技」を普及しようとしている。これは「投げる」「打つ」「捕る」という野球の基本動作が身についていない子供にゲームの楽しさを普及させる意味合いもある。
しかし、いくら「ベースボール型球技」が普及したからといって、高校野球やプロ野球を「ベースボール型球技」に変えてしまえという議論は起こらないだろう。
理想的には「ベースボール型球技」になじんでいるうちに、野球が面白くなり「ベースボール型球技」に飽き足らなくなって、野球に移行するというステップを踏むべきだろう。

国際大会では延長に入るとタイ・ブレークが導入されることが多くなった。時間制限のない野球というスポーツは、あまり馴染みのない人には、だらだらと長く感じられる。また、テレビなどの「尺」に合わない。
そういう「外的要因」によって、タイ・ブレークが導入された。
もちろん、青少年選手、とりわけ投手への体の負担を考えてという「内的要因」もある。
例えば、女子野球はプロも含めて7回制だし、リトルリーグも6回制だ、これらも同様の措置だ。
しかしこれとても、NPBやMLBのレギュラーシーズンに導入することにはならないだろう。

野球と言う試合がだらだらと長いのは、その先祖ともされるクリケットの流れを汲んでいるのかもしれない。もともとプレーとプレーの間合いが長く、選手が激しい動きをしている時間が短いスポーツなのだ。

しかしながら、野球好きはその「間合い」に意味があることをよく知っている。投手と打者が「つぎの1球」をめぐって虚々実々の駆け引きがある。それが魅力の一つなのだ。

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もちろん長すぎる間合いは、試合をだれさせる。
昭和の時代、NPBでは投手は「乱数表」をグラブにつけて捕手とサインのやり取りをしたが、それはあまりにも時間を食いすぎるということで、中止になった。
監督、コーチがマウンドへ行く回数を制限したり、攻守の入れ替わりの時に駆け足を励行するなど、NPBは「時短」へ向けた取り組みをしている。
野球の試合が長すぎるのは確かに良くない。短くする努力は続けるべきだ。

しかしNPBは高校野球のように2時間フラットで終わるようにはならない。
NPBは投手交代が多いし、代打や代走などの選手交代も多い。昔のように先発完投と言うケースは少なくなっている。
その上に、セイバーメトリクスの導入などもあって、「打席で粘る打者」が良い打者だということになっている。ファウルをたくさん打って、投手にできるだけ多くの球を投げさせて消耗させる打者が評価されるのだ。
中島卓也などの選手に「時短のためにファウルを打つな」とは言えないだろう。

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青少年層が「野球は長い」「だらだらしている」と言うのは、そうした「一見冗長に見える時間」の意味が理解できないからだ。
子供のころから野球に親しんでこなかった人は、青少年でなくてもそう思っている人が多い。

そうした層に迎合して、野球の「持ち味」まで削って「時短」をするのは、「角を矯めて牛を殺す」ことにもつながりかねない。
無駄な時間は削るべきだが、そのためにルールを変更するのは乱暴だ。

むしろ野球の普及の中で「考える時間」がある野球の面白さを浸透させるべきだろう。



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