今から思うと、35歳での引退は惜しかったと言わざるを得ない。

1954年1月生まれ、同年早生まれに田尾 安志、大石 友好、リッチ・ゲイル、MLBではアンドレ・ドーソン、オジー・スミス、ウィリー・ランドルフ、デニス・マルティネス、デニス・エカーズリー。

安積商業、駒澤大学からドラフト3位で巨人に。

キャリアSTATS

K-Nakahata


ドラフトの目玉と言われたが3位で入団。分厚い内野陣に割って入ることができず、1年目は二軍暮らし。2年目、3年目もほとんど出場機会に恵まれず。

初出場は1977年7月17日、後楽園球場の広島戦、7回裏に原田治明の代走として出場。
初安打は同年7月31日、甲子園の阪神戦、6回表に高橋良昌の代打で山本和行から。

1979年、怪我をした高田繁を外野に押し戻す形で三塁のポジションをほぼ獲得。

1980年、原辰徳の入団に伴い、一塁にコンバートされる。いしいひさいちの「絶好調」が話題となり、人気選手となる。宇野と同様、極端なキャラクターであるかのような印象が定着する。

翌年打率2位に。1982年からダイアモンドグラブ(ゴールドグラブ)を7年連続で受賞。

典型的な中距離打者。三振が少なくシュアな打撃だったが、四球も少ない積極打法だった。一塁にコンバートされてからも年に数試合は三塁を守った。

三塁手としては非常にダイナミック。長嶋茂雄をほうふつさせた。

1000本安打は1986年9月2日、広島市民球場の広島戦、6番一塁で先発し、7回表に小林誠二から左前安打 。

引退前年の1988年まで、全く衰えを見せなかったが、1989年、三塁にコンバートされるも故障で戦線離脱すると、あっさり引退。35歳だったが1500本はクリアできそうたったので、惜しい引退だ。

巨人、日本代表のコーチを経てDeNAの監督に。暗くて怠惰な印象のあったこのチームを一変させた手腕は賞賛に値する。


大島康徳、投手別本塁打数|本塁打大全


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