"老害4人衆"は、みな同じ考え方ではない。それぞれに少しずつ異なっている。

広岡達朗は「性狷介」。
1954年に巨人に入団して以来、川上哲治や長嶋茂雄と軋轢を生むなど、常に周囲とトラブルを起こしてきた。監督としてはヤクルト、西武で優秀な成績を残したが、その去り方は円満ではなかった。またGMとして迎えられたロッテでも残念な去り方をしている。
端的に言えば「性悪説」が信条であり、人を管理し、縛り上げる一方だ。その反面、選手のモチベーションを高める方法を知らない。もちろん、信奉者も多いが、その陰気さはやりきれない。広岡はいまだに「俺に任せておけばいいのに」と思っているのだろう。



金田正一は「いまだに天皇」。
400勝と言う空前絶後の記録を樹立したことが何よりの金看板であり、いまだにどこへ行っても通用すると思っている。息子の金田賢一は「親父はいまだにJRの改札をよっ、と手を挙げて通っていますよ」と言ったことがあるが、そういう時代錯誤が基本だ。投手に「走れ走れ」といまだに言っている。
選手時代は調整法や食事、生活管理を大事にするなど先進的だったが、その時代から進歩が止まっている。スピードガンが導入され、小松辰雄が150km/hを出すと「わしもそれくらいは軽く出ておった」と言い、大谷翔平が160km/hを出すと「わしはもっと速かった」という。他愛ない話だ。今更証明しようもないことを好き放題に言っている。
ただ、天性の明るさがあり、それに救われる部分がある。



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野村克也は「愛されたい」。
鶴岡一人との確執は、野村が一方的に思い込んでいたという部分が大きいと思うが、偉大な実績を残したにもかかわらず、正当な評価を得ていないという気持ちが強い。「王、長嶋はひまわり、俺は月見草」という言葉がそれを象徴している。
細かい計算が立ち、戦略家としても優れているが、南海時代からの「ひがみ根性」が抜けず、選手に愛されない。
監督退任後は、多くの著作をものにし、経営者などに尊敬される文化人になる。著作はほとんどが焼き直しの連続だが、確かに含蓄はある。しかし、その著作で「人に愛される、信頼される」方法論は書いたことがない。そういう部分が欠落している。
鶴岡一人に、新年会に呼ばれなかった恨みが、いまだに尾を引いているのではないか。



張本勲は「誰かの下回り」
他の3人よりも若く、現実を見る目もしたたかだ。張本は卓越した打撃理論をもっている。また韓国プロ野球の設立にも奔走するなどプロデューサーとしても活躍したが、今は「誰かを意識して」発言している。「反プレーヤーファースト」「反MLB」の立場からの発言を続けている。今の時代についていけない老人世代の受けを狙ったものではある。同時に、昭和の時代の野球が変質することを食い止めたいと考えるNPBのある種の勢力の代弁者ではないかと思われる。
最近は「炎上商法」にも加担しているが、それも計算ずくだろう。張本勲は「そう言うほうが得だ」という打算で発言していると思われる。



ちなみに張本勲とともに「喝!」と言っていた大沢啓二は、一線を引いた人間としての遠慮を知っていた。親分と言われたこわもてだが、人心掌握の術を知っていたと思う。

こうして分類してみると、彼らは偉大な実績にもかかわらず、満たされない思いを持っていたことがわかる。
4人に共通するのは「晩節を汚している」ことだと思う。


1982年永射保、全登板成績【あっと驚く奇襲先発】


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