2リーグ分立後のセ・リーグに衝撃を与えたスピードスター。

与那嶺要、全本塁打一覧|本塁打大

1925年6月生まれ。松井 淳、関口清治、杉下 茂 、近藤 貞雄 、MLBではヨギ・ベラ、デル・エニス、ミニー・ミノーソ、ハーベイ・ハイデックス。

プロフットボーラーからサンフランシスコ・シールズ傘下のCクラス、ソルトレイクシティで野球を始める。1951年に巨人に入団。

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Cクラス、ソルトレイクシティでの高打率を見れば、MLBで活躍した可能性もあっただろう。

デビューは1951年6月19日の後楽園球場での名古屋戦。捕手武宮敏明の代打で打席に立ち、救援のマウンドに立っていた杉下茂からバント安打。
以後、左翼のレギュラーで起用され、8月28日からは1番に固定される。

NPBにとっては、タイ・カッブが舞い降りたような衝撃だったろう。アグレッシブな走塁、シュアな打撃、1952年から6年連続3割、首位打者3回、圧倒的な記録を残す。

1957年には3度目の首位打者、MVPに輝く。川上哲治のライバルと言われたが、川上が2000本安打まで記録を伸ばすことができたのは、与那嶺の存在が大きかったのではないか。

1000本安打は1958年5月25日の広島市民球場、広島戦。長谷川良平から記録。793試合目での達成は、当時最速。今ではイチロー、青木宣親、ブーマーに次ぐ4番目。

1961年に川上哲治が巨人監督になると中日に出される。2年現役を続けて引退。

引退後は中日、東京のコーチを経て中日監督に。

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川上監督の金字塔、V10を阻止し、優勝に導いたのは見事。さぞや留飲を下げたことだろう。
存命中の1994年に殿堂入りしたのは幸いだった。



1956年島原幸雄、全登板成績【当時のシーズン最多74試合に登板】


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