身体能力の高さが際立った外野手。
1939年3月生まれ。同い年にカール・ヤストレムスキー、ルー・ブロック、フィル・ニークロ、ミルト・パパス。NPBの同年早生まれには鎌田 実。

ニューヨーク、ボーイズ高校から1956年ブルックリン・ドジャースに。

キャリアSTATS

T-Davis


黒人選手の大先輩、ジャッキー・ロビンソンとは1年だけ重なっている。当時としては大型、筋骨隆々。昨日紹介したデューク・スナイダーらスター選手の後継者として期待を集める。

MLB初出場は、1959年9月22日のセントルイス・カーディナルス戦。クレム・ラバインの代打で出場。
初安打は、翌1960年4月14日のカーディナルス戦、7番中堅で先発し、5回にロン・ケーラインから遊撃内野安打。

この年は外野の3ポジションに加え三塁も守り、新人王投票で5位になる。新人王はフランク・ハワードだった。

3番また5番を打ち、内野と外野を掛け持ちしながらぐんぐん成績を上げる。1962年には、230安打153打点.346でいずれもリーグ1位、MVP投票ではモーリー・ウィルㇲ、ウィリー・メイズに次ぐ3位に。
翌年も首位打者、リーグトップクラスの強打者になる。

しかし、翌年から成績が急落。足首の骨折が原因だった。試合出場も減り、1967年にはトレードでニューヨーク・メッツに。この年は久々に規定打席に達し、3割を打つが、ここからチームを転々とする。
典型的なジャーニーマンになる。

出場試合数も減り、忘れ去られた存在になっていたが、1973年、ボルチモア・オリオールズでは、この年から導入されたDHとして活躍、ロッド・カルー、ジョージ・スコットに次ぐ打率3位となる。
カムバック賞があれば、間違いなく受賞していただろう。

代打の通算打率は.320、体が万全だったらさらに成績を残しただろう。

1976年に引退した。1981年にはマリナーズで打撃コーチを務めた。



2013~2016年東浜巨、全登板成績【輝き再び、2ケタ勝利まであと一歩】


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