今日はプロ野球チームは、レギュラーを固定するのがいいのか?固定しないほうがいいのかをじっくり考えていきたい。
1リーグ時代は選手数が少なかったため、レギュラーを固定することが多かった。
1950年以降、各チームで何人が規定打席に達したかを調べてみた。
NPB史上唯一、9人の選手が規定打席に達したケースがある。
1991年のオリックス・ブルーウェーブだ。

阪急時代の主力選手に、オリックスになってから主力になった選手が加わって、捕手からDHまで全員規定打席に。
チーム打率は.264で3位。監督は土井正三。
ここまでレギュラーが固定されると、他の選手の出場機会は減る。この9人以外に100打席に立った選手はいない。熊野輝光の91打席が最多だ。
この年のドラフト4位でイチローが入団するのだ。
8人の事例は26例ある。その多くは2リーグに分立して選手の絶対数が少なかった1950年代。
1950年、セ・リーグ

優勝した松竹、水爆打線と言う物騒な名前で知られた。小鶴誠が大当たり、3割打者3人。
2位の中日も野手はすべて規定打席。
そして大阪。ダイナマイト打線は1リーグ時代だが、主力選手が毎日に引き抜かれて戦力が薄く、レギュラーを固定した。なお、大阪は一塁と外野を兼任させたので外野手が4人規定打席に達している。こういうケースもある。
1950年、パ・リーグ

こちらは選手層の薄さが顕著だ。ミスター1割、山田潔も遊撃で規定打席。
この後も見ていこう。
1954年宅和本司、全登板成績【最多勝、最優秀防御率を獲得した黄金ルーキー】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!


1950年以降、各チームで何人が規定打席に達したかを調べてみた。
NPB史上唯一、9人の選手が規定打席に達したケースがある。
1991年のオリックス・ブルーウェーブだ。

阪急時代の主力選手に、オリックスになってから主力になった選手が加わって、捕手からDHまで全員規定打席に。
チーム打率は.264で3位。監督は土井正三。
ここまでレギュラーが固定されると、他の選手の出場機会は減る。この9人以外に100打席に立った選手はいない。熊野輝光の91打席が最多だ。
この年のドラフト4位でイチローが入団するのだ。
8人の事例は26例ある。その多くは2リーグに分立して選手の絶対数が少なかった1950年代。
1950年、セ・リーグ

優勝した松竹、水爆打線と言う物騒な名前で知られた。小鶴誠が大当たり、3割打者3人。
2位の中日も野手はすべて規定打席。
そして大阪。ダイナマイト打線は1リーグ時代だが、主力選手が毎日に引き抜かれて戦力が薄く、レギュラーを固定した。なお、大阪は一塁と外野を兼任させたので外野手が4人規定打席に達している。こういうケースもある。
1950年、パ・リーグ

こちらは選手層の薄さが顕著だ。ミスター1割、山田潔も遊撃で規定打席。
この後も見ていこう。
1954年宅和本司、全登板成績【最多勝、最優秀防御率を獲得した黄金ルーキー】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!
コメント
コメント一覧
後任の仰木監督は日替わり打線で優勝に導いていくのですから。
この日替わり、固定?の事例論点、もっと掘り下げたら、面白いと思います。
広尾さん、ありがとうございます♪