引き続き、1950年代に固定された打線について。

1951年、セ・リーグ

1951-CL


松竹と中日改め名古屋が前年に引き続いてレギュラーを固定。

松竹は小西得郎から新田恭一に監督が交替したが、レギュラー固定。名古屋は引き続き天知俊一。

パ・リーグは固定はなし。

1952年、セ・リーグ

1952-CL


松竹は、優勝、4位、7位と転落しながらも選手を固定し続けた。松竹と言う球団名は名ばかり、実質的に田村駒が運営していたが、資金が続かず、選手層が薄かったのだ。
監督は新田恭一。1割台でランキングされている綱島は、PL教団に入り、実質的なPL学園初代監督になる。

翌年、パ・リーグに3球団が出てくる。

1953-PL


100万ドルの内野陣が完成形に達した南海。22歳の岡本伊三美が首位打者、MVP。一塁飯田、二塁岡本、三塁蔭山、遊撃木塚。ほれぼれする顔ぶれ。山本一人はこのオフに、野村克也のプレーを見て獲得することを決めている。

南海に4ゲーム差まで迫った阪急は、他球団から来た寄せ集め集団だったが、39歳の戸倉勝城をはじめ、故障者が少なく頑張った。

最弱の近鉄は、打線はまだマシだった。小田野柏は戦前、阪急で活躍した好守の外野手だ。


1954年宅和本司、全登板成績【最多勝、最優秀防御率を獲得した黄金ルーキー】

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