イチローに注目したのは、多くの人と同様、1994年のことだった。イチローはまだ20歳。突然大活躍をし始めたのだ。
このとき、二人の子供は2歳と0歳。今や一人は就職し、もう一人は就活中だ。
パのMVPにイチローが選ばれ、セのMVPは桑田真澄だった。
会社が芦屋にあったので、西神のグリーンスタジアムにはよく行った。途中から浮き上がるようなレーザービームも見た。2本塁打を打つのも見た。

2001年、MLB挑戦。入院した親父の病室で、これまた2本塁打を見た。親父も「すごいな」と言っていた。親父はそれから1か月も生きていなかったが、このことが妙に記憶に残っている。

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2004年の恐ろしいほどのヒッティングストリーク、ジョージ・シスラーまであと何本と言うのを、職場のパソコンで毎日計算していた。

2009年のWBCでは、イチローの雄姿を大阪ドームに見に行った。

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2012年3月、東京ドームでの開幕戦も見に行った。「これが絶対最後だろう」と思った。この年の7月のヤンキース移籍での、イチローの「孤影」にジーンときた。

読者各位にも「イチローとの日々」の記憶が蓄積しているのではないだろうか。

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マーリンズに移籍してからは「余生」と言ってよいかと思う。3000本を打ち、もうやり残したことはないように思うが、イチローはまだ「野球生命」の火を燃やし続けている。

しかし、その火は確実に細く、か弱くなっている。

近いうちに「今日のイチロー」を気にしなくていいときが来るだろう。

私はその時のことが、ちょっと想像できない。イチローが試合に出ていない、野球をしていない日が来るとは。
24年にわたって4月から10月まで、ずっと気にかけていたこと、一喜一憂してきたことが、突然なくなる。意識が断ち切られる。

今も、日本人はイチローが大好きだ。子どもたちの「好きなアスリート」の調査でもトップにいるし、イチローの記事を書けば、確実にアクセスが増える。
イチローは日本人の可能性を思い切り広げてくれたし、「まじめで繊細で努力家」という日本的美学を世界に知らしめた。わがことのように誇らしかったのだ。

「野球離れ」が進んでいるが、イチローがバットを擱くことが、それを加速させないか。一つの時代の終わりが、野球界全体に大きな影響を及ぼさないか、そんな心配までしている。


長池徳士、全本塁打一覧(後編・1972~1979、その他)|本塁打大全

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