私用と取材で、広島に滞在している。一昨日は午前中からマツダスタジアムの隣にいたが、30度を超えて気温がぐんぐん上がる中、赤いユニフォームのファンが影一つない地べたに座って順番待ちをしていた。

何度か訪れたことがあるが、この球場は環境が抜群だ。
見やすいし、開放感があるし、とにかく美しい。
京セラドームとか東京ドームに入ると、ホイホイに捕まったゴキブリみたいな心境になるが、ここは本当に気持ちが晴れ晴れする。とにかくビールがうまい。
それはそうだが、猛暑日でも夕方6時のプレイボールのために朝9時から並ぶ神経はちょっと尋常ではない。
広島で長いこと会社をやっている人でも、チケットをとるのは難しいのだそうな。
新幹線の駅から球場までの"参道"は、赤いフラッグがはためいているし、弁当や飲み物を売る店もならんでいる。

広電もカープのラッピング、お好み焼き屋のおばさんも赤いユニフォーム。「25」が多い。
こういうのを見ると、"「野球離れ」なんてどこの話?"という気がしてくる。
広島で野球関係者やスポーツ関係者に話を聞いているが、この話をするとみんな目を丸くする。
「へえー、本当ですか?」
という。ただし、地元の体協の年配の人などは、
「そういや、うちの近所の子供はみんなサッカーばかりですな!」ともいう。
広島商は、戦前からサッカーでも強豪校だった。実は広島でも「野球離れ」は進んでいるのだ。
鶴岡一人の取材も続けている。今は呉に泊まっている。
「この世界の片隅に」のすずさんが、広島からお嫁に行った電車でことことと呉に行って、街をうろうろしている。
一昨日は、すずさんの家があった辰川の上のほうまで行って、港を見下ろした。

昨日は、郷土史家の先生にいろいろ話を伺ったが、鶴岡一人と藤村冨美男が生まれ育った環境が微妙に違っていることが分かったのが収穫だった。
呉は広島と並ぶ大都市だったが、都市のありさまが全然違う。
海軍工廠ができた明治期から、呉には「よそ者がどんどん入ってくること」を受け入れる文化があった。
そういう一人として、鶴岡家も周防大島からやってきた。父親は、自分が学歴がなく苦労をしたことを思い、子どもたちに「教育」をつけようと思った。そういう鶴岡家と、広からやってきて職人の誇りに燃える藤村家の違いは、歩いて数分の距離にもかかわらず、違う小学校に通い、その後の野球人生の違いになった。
これなかなか面白い。
もうちょっと調べるので、またご報告する。
10人の打者 vs 23人の張本勲 |バットマンレース・スピンオフ
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コメント
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「この世界の片隅に」では、山側でのすずさんの暮らしを通して、呉市内を俯瞰するように描いていたのが印象的でした。
ちなみに、山を越えた内陸にも町があったりで、広島市との関係性や軍港も含めて、様々な歴史が交差している土地柄のように思います。
そんな訳で、広島育ちの私にとっては、たまたま義母が呉出身ということもあったりして、色々と興味深いところです。
続報を楽しみにさせていただきます。
これで小学生の野球人口低下に歯止めが掛かっていないのなら、1球団の頑張りでは到底野球離れに手の打ちようがありません。
そうですか!
札幌はそこまでの体制ではないですからダメでしょう