野球が他の学校スポーツと決定的に違うことが1点ある。それは「授業のカリキュラムに入っていない」ということだ。

小学校の体育の教科書にはソフトボールのことが書かれたページがあったように記憶しているが、バレーボールやサッカー、バスケットボール(ポートボール)、ハンドボールなどのように授業で本格的に学んだ覚えはない。

中学、高校でも同様だった。
体育の時間に「今日はソフトボールにします」というと、男子生徒は大喜びしたが、それは授業というよりカリキュラムの穴埋めのようだった。
ましてや野球は軟式であっても、一度も授業で学んだ経験はない。

正規の授業ではないから、授業費で野球の用具を購入することはない。すべて部活費で購入する。このことが「野球をやるには金がかかる」一因になっている。
そのくせ、ほとんどの学校のグランドには、野球、ソフト用のバックネットがある。
誠に不思議なことだ。これには、理由がある。

戦前から、野球は極めて盛んな部活であり、甲子園という巨大なイベントにつながっているから、多くの学校では盛んにおこなわれてきた。
しかし、それは「野球ができる子」だけに限定したものであり、だれもがするスポーツではなかった。

広島県呉市で同じ年に生まれた藤村冨美男と鶴岡一人は、歩いて数百メートルの距離にある違う小学校に通っていた。藤村が通った小学校は下町の職人が通う学校、鶴岡の通った学校は呉工廠の技師の子弟が通う学校。カラーが違い、互いに対抗心を燃やしていたが、藤村、鶴岡ともに野球で頭角を現し、小学校時代から全国大会に出場している。

彼らは授業で野球を学んだのではなく、部活で学んだのだ。藤村は呉工廠で働く職人チームの大人から、鶴岡は帰省中の東京六大学のエリート選手から、野球の手ほどきを受けた。

戦前の「野球選手」とは、スポーツ・エリートであり、小学校のころから「競技」として野球をしていた。

もちろん、そのころでも「草野球」はあったが、単なる子供の遊びであり、等閑視された。

エリートスポーツとしての野球のコンセプトをまとめたのが早稲田出身の飛田穂州だった。
「一球入魂」「敢闘精神」「犠牲精神」「練習重視」など、日本野球のバックボーンというべき考えは、飛田が確立した。

飛田は早稲田大学の監督を経て朝日新聞にも在籍した。大学野球、高校野球の「精神論」はこういう形で固まったのだ。

少なくとも戦前は、野球は誰でもできるスポーツではなく、選ばれた子供だけが放課後に特別に教えを受けて技能を磨き、母校、地域の代表として試合で活躍したのだ。

どこの学校にもあるバックネットは、学校を代表して野球をするエリートのためだけに設けられたのだ。

野球はそうした歴史的な特性を持っていることに留意すべきだろう。

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