オリンピックに関する一連のブログを書いて、中身をほとんど読まずに反論する読者がたくさんいることに、今更ながらがっかりした。
同じ日本人として、日本人選手の活躍を願わないはずがない。そういう読み違えを避けるために、私は意識して「メダルを取れば私もうれしい」と書いたが、「2位じゃダメですか」とか「よその国を応援しているのか」とかいうコメントがくる。粗雑としか言いようがない。

戦前、日本の軍部は自分たちに異を唱える勢力を「非国民」と決めつけた。例えば美濃部亮吉は「天皇機関説」をとなえたが、これは天皇制の否定ではなく、近代国家にあって「天皇」をどのように位置づけるかを唱えたものだ。美濃部は貴族院議員であり、体制側の人物だった。しかし軍部をはじめとする勢力はこれを「不敬罪」だと決めつけ、排撃した。天皇は、絶対的な存在であり、それを議論することがそもそも「不敬」である、というのだ。

私は「メダルを取ることは、オリンピックのコンセプトにはならない」と言ったのだが、日本が勝つことを手放しで喜ばず、「日本万歳」と言わないことが、気に入らない人がいて「非国民」的な非難をしたのだ。いつの時代もそういう理解レベルの低い人はいるのだろうが、そういう声が大きくなるのは時代を反映しているのではないか。

オリンピックもそうだが、日本のスポーツは「勝利至上主義」に覆われている。「結果を出してなんぼ」「結果さえついてくれば、何も言われない」。
「勝利」によって、さまざまな問題はすべて解決する、という単純化によって、日本のスポーツ界は全く進歩しないままここまで来た。また「敗者」を無価値であるかのような偏った評価も生んできた。

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今年1月、DeNAの筒香嘉智は「勝利至上主義の排除」を主張した。それは「勝利」を追い求めることによって、特に子供世代に無理を強いるし、いきすぎた「勝てば官軍」が、エリート主義や指導者への盲目的な服従を生んでいるということだ。

NPBを代表する強打者で、WBCでも主軸を打った筒香が「勝つことを求めていない」とは誰も思わないだろう。彼が「勝利至上主義」を否定したからと言って「非国民」のように非難する人もいないだろう。

スポーツにおいて「勝利」「結果」はもちろん大事だが、それですべてが解決するわけではない。どんなジャンルでもそうだが、「結果」は一つの指標であって、それ以外にも大事なことはたくさんある。特に多くの人が参加するスポーツでは、勝利はごく少数の人のものであって、多くは「敗者」になる。だからといって圧倒的多数の「敗者」が無価値なわけではない。

むしろ「グッドルーザー」が十分に満足できる環境の整備こそが大事だと言いたいのだ。

「勝たなくてもいいのか」的なことを書き込んだ人は、そのことを理解すべきだ。そうでなければ、これからおこるであろう権力者たちの「煽り」にやすやすと乗っかることになてしまうだろう。

世の中には、こういう議論もあることを知っていただければと思う。


野村克也、投手別本塁打数|本塁打大全


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