最近、高野連関係者が「プレイヤーズファースト」と言う言葉を使い始めたことが話題になっている。「新しい言葉を覚えたな」と揶揄されることもある。
もともと「プレイヤーズファースト」は、サッカーから出た言葉であり、野球関係者はこれを使うことに抵抗感があったようだ。
しかし報道によれば今年は頻繁に使っている。
高野連 高橋順二副会長
「高校野球にとって一番大切なものは主役である生徒たちです。常にプレイヤーズファーストという言葉を忘れずに」
東スポ
竹中雅彦事務局長
「プレーヤーズファーストですよ。選手が第一。大人の考えはあっても選手はどうなのか。選手がどうしても甲子園で、というならそれもプレーヤーズファーストなので難しいですよね」
当サイト読者の指摘もあったが、竹中事務局長は「プレイヤーズファースト」の意味をはき違えている。
プレイヤーズファーストとは「選手の言うことを聞く」「選手の希望を優先させる」ことではない。
「選手の安全、健康を最優先し、その上で、競技の環境を尊重する」ことだ。
たとえ選手が「甲子園でやりたい」と言っても、健康面を考えて危険だと判断したら京セラドームでやるという決断をするのが「プレイヤーズファースト」だ。
こんな理屈がまかり通るなら「投げられなくなってもいいから、最後まで投げたい」という投手の意向を聞いて続投させることまで「プレイヤーズファースト」と言うことになる。

この言葉、どうやらスポーツ界の幹部によって恣意的に使われつつあるようだ。
至学館大学の谷岡郁子学長は、一時期栄和人前監督を現場復帰させたことについて
「選手が指導してもらいたいと言った。選手ファーストだから復帰させた」と言った。
こういう形で、指導者や幹部が、選手に責任転嫁するときに「プレイヤーズファースト」を使い始めると、この概念はぐずぐずと崩れていく。
「プレイヤーズファースト」は、選手の意向に従うことではなく、指導者、幹部が「選手が長く競技を続けるためには、今、何が必要なのか」を判断することだ。
「プレイヤーズファースト」の判断は、指導者、幹部が行うことであり、その選択の責任は、指導者、幹部にある。
このことを、スポーツ界はもう一度、しっかり確認すべきだろう。

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プレイヤーズファーストとは「選手の言うことを聞く」「選手の希望を優先させる」ことではない。
「選手の安全、健康を最優先し、その上で、競技の環境を尊重する」ことだ。
たとえ選手が「甲子園でやりたい」と言っても、健康面を考えて危険だと判断したら京セラドームでやるという決断をするのが「プレイヤーズファースト」だ。
こんな理屈がまかり通るなら「投げられなくなってもいいから、最後まで投げたい」という投手の意向を聞いて続投させることまで「プレイヤーズファースト」と言うことになる。

この言葉、どうやらスポーツ界の幹部によって恣意的に使われつつあるようだ。
至学館大学の谷岡郁子学長は、一時期栄和人前監督を現場復帰させたことについて
「選手が指導してもらいたいと言った。選手ファーストだから復帰させた」と言った。
こういう形で、指導者や幹部が、選手に責任転嫁するときに「プレイヤーズファースト」を使い始めると、この概念はぐずぐずと崩れていく。
「プレイヤーズファースト」は、選手の意向に従うことではなく、指導者、幹部が「選手が長く競技を続けるためには、今、何が必要なのか」を判断することだ。
「プレイヤーズファースト」の判断は、指導者、幹部が行うことであり、その選択の責任は、指導者、幹部にある。
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コメント
コメント一覧
自分たちの都合のいいように言葉の意味を変えようとしているとすら思えて非常に腹立たしく思います。
このまま間違った用法が日本のスポーツ界のお偉いさんが使用しつづけることによって、本来新しく、素晴らしい概念のはずが日本でだけ違ったものになってしまう懸念があると思います。悪い意味での日本版プレイヤーズファースト。
「でも選手が言うから」では学生スポーツの指導者とはいえない
選手生命どころか後々後遺症が残ったとしても二度とない今この瞬間を大事にしたいから何百球でも投げたい
これを止めるのが大人の責任
この所呆れてものが言えないようなニュースが続きますね。そもそも、幼少期から「聖地」甲子園を見聞きし目指してきた球児に
聞けば、「甲子園でやりたい」と言うに決まっています。
聖地という、歴史とメディアによって作られたフィクションに、健康や人命を犠牲にしてまで守る価値が有るのか。それに真っ直ぐに答えるべき人々が、揃いも揃って責任回避・事無かれに終止している。
頭の痛い夏はまだ続くのでしょうか。
https://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/1083277/
>「冷房ガンガンの京セラドームでやったって、ありがたみがない。甲子園のジリジリとした強い日差しの中でやるからこそ“ザ・夏”って感じじゃないですか。生暖かい浜風がなぜか心地いいんです。甲子園でやれるんだったら、僕は熱中症になって倒れたとしても本望です」という声まで。
甲子園信仰もここまで来ると怖いです。