高校野球が、他のスポーツ団体(16競技)で作っている高体連に加盟せず、独自に高野連を作っているのには昔の事情がある。
戦前、「野球統制令」でしばられた学生野球は、野球の存続のために軍部の顔色を見続けた。様々な制約を飲んだが、1941年を最後に「中等学校野球」の全国大会は中断せざるを得なかった。
このことを大きな痛手と感じた佐伯達夫は、戦後、中等学校野球を再開するにあたって「どこにも干渉されない、独立した野球団体を作ろう」と考えた。学制が変わってから「高野連」といわれるようになった組織だ。1946年11月に設立された。
1948年に「高体連」が発足し、主要なスポーツは高体連傘下で大会を開催し、高校スポーツの祭典「インターハイ」も主催したが、高野連は佐伯の強い考えもあって、高体連には参加しなかった。
そのままで70年が経過しているのだ。
高体連のインターハイは、読売新聞がオフィシャルメディアとなって全国持ち回りで、国体のミニチュアのような形で行われている。夏季と冬季に全国大会を行っているほか、地方大会も行われている。
しかし高校野球は高体連とは別個の組織として、朝日、毎日両新聞社の主催で行われてきた。
高体連と高野連は交流もなく、まったく別個に存在している。ちなみに女子野球など新興のスポーツは、そのどちらにも参加していない。文科省などの助成にも格差が出ている。

中学、高校の部活が「ブラック化」し、問題になっているが、高校スポーツ全体について協議するような機会は設けられていない。
最大の高校スポーツ部活である高校野球は唯我独尊だし、高体連も歩み寄ってはいない。
インターハイなどで取材した感触では、サッカーなど一部スポーツを除いて高体連のスポーツも後進性では高野連といい勝負だ。
「高校生の将来に責任を負う組織」としての自覚があるとは思えない。
こういうお山の大将がのさばっている限りでは、日本のスポーツ改革はおぼつかないだろう。
まずは「既存の組織」を解体する必要があるのではないか。

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高体連と高野連は交流もなく、まったく別個に存在している。ちなみに女子野球など新興のスポーツは、そのどちらにも参加していない。文科省などの助成にも格差が出ている。

中学、高校の部活が「ブラック化」し、問題になっているが、高校スポーツ全体について協議するような機会は設けられていない。
最大の高校スポーツ部活である高校野球は唯我独尊だし、高体連も歩み寄ってはいない。
インターハイなどで取材した感触では、サッカーなど一部スポーツを除いて高体連のスポーツも後進性では高野連といい勝負だ。
「高校生の将来に責任を負う組織」としての自覚があるとは思えない。
こういうお山の大将がのさばっている限りでは、日本のスポーツ改革はおぼつかないだろう。
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コメント
コメント一覧
正月の選手権を見ると「この仲間たちとできる最後の試合、何が何でも!」
の「美しい」青春は残っているように思えます。
当事者にしてみれば「オレは今なんだよ!」のスラムダンク状態で先のことなんか考えられませんから、
大人が心を鬼にしてきっちり導いてあげなくてはなりませんね。
現状は本能に鬼のような大人が子供をいたぶっていますが。。。
サッカーの場合は高校生で優秀な選手は既にプロとしてJの試合に出ています。そして、日本代表に選ばれてる若手の選手は高校生の時にはプロだった選手です。
基本優秀な選手はユースに進んでます。