昨日の星稜-習志野戦は、野球は好投手だけでは勝てないという好例のような試合だった。なかなか面白かったが、トラブルも起こっている。
サンスポ
第91回選抜高等学校野球大会第6日(28日、甲子園球場)第3試合の2回戦で、星稜(石川)の林和成監督(43)が1-3で敗れた試合後、対戦相手の習志野(千葉)の小林徹監督(56)に直接抗議する異例の事態があった。林監督は「サイン盗みがあった」と主張し、習志野の控室にまで出向き「フェアじゃない」と強い口調で訴えた。習志野の小林監督はサイン盗みを否定。審判団は、不正行為は確認できなかったとした。
サイン盗みの疑惑は、先日の横浜、明豊戦で横浜の二塁走者が主審に注意された事例もある。
高校野球の特別規則に「サイン盗み」に関する記述はないが、高野連審判規則員会が定めた「周知徹底事項」には、以下の項目がある。
2.マナーについて
③ 走者やベースコーチなどが、捕手のサインを見て打者にコースや球種を伝える行為を禁止する。もしこのような疑いがあるとき、審判員はタイムをかけ、当該選手と攻撃側ベンチに注意を与え、すぐに止めさせる。
1998年にこの規定ができた。

昔の日本野球では「サイン盗み」は、立派な技術の一つだった。本堂保次から野村克也まで「サイン盗みの名人」と呼ばれた選手はたくさんいた。
高校野球でも「サイン盗み」は、ベンチ、コーチ、走者にとって重要な仕事だった。相手投手の球種、コース、作戦を察知して打者に教えることで、勝負を有利にしようというものだ。そうしたプレーは「頭脳プレー」と呼ばれ、一時期は称賛の的になっていた。
MLBでも「サイン盗み」の逸話は結構ある。かつては、日本同様「目視」でのサイン盗みだったが、最近はアップルウォッチを使ったハイテクのサイン盗みが問題視されている。
昔は容認された「サイン盗み」が、今、否定されつつあるのは、この行為が「野球」とも「スポーツ」とも関係がない行為だからだ。
アメリカでは野球は「賭博」だった時期がある。スポーツである以前に娯楽として発達してきた。しかし他のスポーツの発展とともに、野球も他の競技と同様に健全性を問われるようになった。そしてスポーツマンシップに則っておかしな行為は排除されるようになった。「サイン盗み」は、その文脈で否定されるようになった。
特に青少年の野球は、健全なアスリートを育成することが目的であり、目先の「勝敗」に拘泥する意味はあまりない。
日本を除く他の国の青少年野球は「勝利」よりも選手が投、打、走塁、守備で良いパフォーマンスを発揮することを優先するから「サイン盗み」を行う余地はなかった。MLBがそうしたことをしていても、アメリカの青少年野球がそれに追随することはなかった。そんなことをして勝っても価値がなかったからだ。
しかし日本の高校野球は、プロ野球と同様「何が何でも勝つ」ことが目的であり、そのためにサイン盗みをすることも「あり」だった。「サイン盗み」は「勝利至上主義」の野球でしか見られない奇習なのだ。

1998年に高野連審判規則員会が「サイン盗み」を禁止したのは、アマレベルでの国際大会が増えるとともに、日本の高校野球の「サイン盗み」の異様さが際立ってきたからだ。
国際大会で、日本だけがおかしな野球をして顰蹙を買う事例は以前からあったが、それを是正するためにこういう規定が設けられた。
しかし日本の高校野球の指導者は、ルールに対して、特殊な考え方をする傾向がある。「ルールを守る」よりも「ばれないようにうまくやる」ことを優先する指導者が多いのだ。高校野球の指導者は「教育者」ではない。堅気でなくてもなれるから、そういうことができるのだろう。
その結果として「サイン盗み」をやる指導者がいまだにいる。特に「名将」とよばれる指導者に多い。「勝てば官軍」である。
今大会で「サイン盗み」が、クローズアップされているのは、指導者の中にも「アンフェアなプレーはしないほうがいい」というまともな考え方の人が増えてきたからだ。そういう意味では健全化へ向けた流れができてきたといえよう。
しかし高野連も、朝日、毎日新聞も、NHKもこのことを正面から受け止めることはない。それを非難すれば、ここまで「サイン盗み」を看過してきたわが身に非難が集まりかねないからだ。おそらくこうした組織の是訓には「お家大事」「保身」「ことなかれ」という文字が躍っているのだと思うが。
主催者側が保身に走っているうちに、高校野球はどんどん変化していくだろう。「球数制限」だけでなく「勝利至上主義」的な風習は過去のものになるだろう。

2018年鈴木博志、全登板成績
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第91回選抜高等学校野球大会第6日(28日、甲子園球場)第3試合の2回戦で、星稜(石川)の林和成監督(43)が1-3で敗れた試合後、対戦相手の習志野(千葉)の小林徹監督(56)に直接抗議する異例の事態があった。林監督は「サイン盗みがあった」と主張し、習志野の控室にまで出向き「フェアじゃない」と強い口調で訴えた。習志野の小林監督はサイン盗みを否定。審判団は、不正行為は確認できなかったとした。
サイン盗みの疑惑は、先日の横浜、明豊戦で横浜の二塁走者が主審に注意された事例もある。
高校野球の特別規則に「サイン盗み」に関する記述はないが、高野連審判規則員会が定めた「周知徹底事項」には、以下の項目がある。
2.マナーについて
③ 走者やベースコーチなどが、捕手のサインを見て打者にコースや球種を伝える行為を禁止する。もしこのような疑いがあるとき、審判員はタイムをかけ、当該選手と攻撃側ベンチに注意を与え、すぐに止めさせる。
1998年にこの規定ができた。

昔の日本野球では「サイン盗み」は、立派な技術の一つだった。本堂保次から野村克也まで「サイン盗みの名人」と呼ばれた選手はたくさんいた。
高校野球でも「サイン盗み」は、ベンチ、コーチ、走者にとって重要な仕事だった。相手投手の球種、コース、作戦を察知して打者に教えることで、勝負を有利にしようというものだ。そうしたプレーは「頭脳プレー」と呼ばれ、一時期は称賛の的になっていた。
MLBでも「サイン盗み」の逸話は結構ある。かつては、日本同様「目視」でのサイン盗みだったが、最近はアップルウォッチを使ったハイテクのサイン盗みが問題視されている。
昔は容認された「サイン盗み」が、今、否定されつつあるのは、この行為が「野球」とも「スポーツ」とも関係がない行為だからだ。
アメリカでは野球は「賭博」だった時期がある。スポーツである以前に娯楽として発達してきた。しかし他のスポーツの発展とともに、野球も他の競技と同様に健全性を問われるようになった。そしてスポーツマンシップに則っておかしな行為は排除されるようになった。「サイン盗み」は、その文脈で否定されるようになった。
特に青少年の野球は、健全なアスリートを育成することが目的であり、目先の「勝敗」に拘泥する意味はあまりない。
日本を除く他の国の青少年野球は「勝利」よりも選手が投、打、走塁、守備で良いパフォーマンスを発揮することを優先するから「サイン盗み」を行う余地はなかった。MLBがそうしたことをしていても、アメリカの青少年野球がそれに追随することはなかった。そんなことをして勝っても価値がなかったからだ。
しかし日本の高校野球は、プロ野球と同様「何が何でも勝つ」ことが目的であり、そのためにサイン盗みをすることも「あり」だった。「サイン盗み」は「勝利至上主義」の野球でしか見られない奇習なのだ。

1998年に高野連審判規則員会が「サイン盗み」を禁止したのは、アマレベルでの国際大会が増えるとともに、日本の高校野球の「サイン盗み」の異様さが際立ってきたからだ。
国際大会で、日本だけがおかしな野球をして顰蹙を買う事例は以前からあったが、それを是正するためにこういう規定が設けられた。
しかし日本の高校野球の指導者は、ルールに対して、特殊な考え方をする傾向がある。「ルールを守る」よりも「ばれないようにうまくやる」ことを優先する指導者が多いのだ。高校野球の指導者は「教育者」ではない。堅気でなくてもなれるから、そういうことができるのだろう。
その結果として「サイン盗み」をやる指導者がいまだにいる。特に「名将」とよばれる指導者に多い。「勝てば官軍」である。
今大会で「サイン盗み」が、クローズアップされているのは、指導者の中にも「アンフェアなプレーはしないほうがいい」というまともな考え方の人が増えてきたからだ。そういう意味では健全化へ向けた流れができてきたといえよう。
しかし高野連も、朝日、毎日新聞も、NHKもこのことを正面から受け止めることはない。それを非難すれば、ここまで「サイン盗み」を看過してきたわが身に非難が集まりかねないからだ。おそらくこうした組織の是訓には「お家大事」「保身」「ことなかれ」という文字が躍っているのだと思うが。
主催者側が保身に走っているうちに、高校野球はどんどん変化していくだろう。「球数制限」だけでなく「勝利至上主義」的な風習は過去のものになるだろう。

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コメント
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それは、やっていることを立証出来ないのと同時に、疑われた側は仮にやっていないにせよ、やっていないことを立証することも不可能ですから。
サイン盗みがあったと認定されるのは、疑われた側が「やりました」と言うことでしかありえません。
今回、星陵の監督が試合前からこの点について疑問を抱いており、4回には試合が中断しています。ここまでなら過去にもあったことですが、試合終了後に習志野側の控室に乗り込んで抗議するという聞いたことのないような異例な事態になっています。
ここまでの事態になっていることは個人的には非常に重いと思いますが、事なかれ主義が蔓延する高野連には、調査する気は毛頭ないでしょう。
両者から事情聴取をして、何らかの見解を出すのは共催者としての責務だと思いますが。
行けといった言葉を持ち出していて世界の道をマネするな。
日本の道(頭を使った野球を極める)
を行けとかいう意見が目立ちます。
駆け引きの一つであり1塁ランナーがリードを取ったり
走る構えを見せたりしてかく乱するのと何が違うんだという。
ルールでサイン指示を規制しても今度は2塁ランナーが
リードを大きくとれば右寄りのコース
小さければ左寄りのコースとかそういった形でサインを出す方法も
あるので規制するのは難しいでしょうね。
スポーツと関係ない行為であることは同意ですが。
日本流の野球で国際大会に勝っても、全然尊敬されません。井の中の蛙です。
尊敬されないと意味ないですね。
お前たちは強いが、俺たちはお前たちの真似はしない。と言われることもあるそうです。
前者はともかく後者はこれとあまり変わらないような印象を受けます
世界のプロのレベル、トップリーグでは癖を盗むことも情報戦も行われています。イチローが引退会見で言ったようにMLBでは情報戦が進み過ぎて「選手が頭を使っていない」という一面もあるようです。
その点では、やっていることは違いますがNPBとそれほど差はないでしょう。
しかしプロでもマイナーリーグ、アマの青少年野球では、そういうことは一切行われません。そうした下部の野球は「メジャーに昇進するため」に、「選手が打つ、投げる、走る、守る」を球団の指導者やスカウトに見せるために存在するので、野球に直接関係のない作戦をする意味がないわけです。
マイナーリーグも、アマチュアも「勝つこと」よりも「選手を伸ばして上のレベルに上げる」ことに意味があるので、勝利至上主義的な指導をすることはありません。
世界の野球はほぼそういう感じになっています。
日本だけですね、青少年の野球で「何が何でも勝とうとする」のは。
あと、スポーツは野球だけではないので、そんなフェアプレイにそむくような競技なら、バスケやると、ラグビーやるよ、というが世界の常識なのでしょう。
野球ぐらいしかスポーツのなかった時代と、
いくらでも世界の中で自分の力を試せる今の時代と、
では捉え方が違うということでしょう。
他の競技との比較をもっと重視した方がいいのに。
250球という松坂の球数といい、この試合を「平成の名勝負」などとことあるごとに賞賛する風潮がいつまで続くのかと思います。熱心な野球少年が見れば、PLも横浜も格好いい、自分も甲子園でこういう野球がしたいと思ってしまうでしょうから。
野球のルールには最初に「野球は勝つためにやるのだ。一人の選手が気持ち良くなるためにやるのではない」旨が書かれ、個人成績に奔ることを禁じていると言います。
プレイの質を高めていくというのは教育リーグの思想でしょう。プレイの質が大切で勝ち負けなど問題ではないのなら、地区大会も全国大会も世界大会もやめて順位の無いオープン戦やシートバッティングの方がいいんじゃないのと思います。また、監督などが試合中に細かく指示を出したりサインを出すのもプレイ自体の質の問題ではありません。ラグビーなどのように一旦試合が始まったら監督が選手にプレイを委ねてしまう競技は珍しくないでしょう。ビデオに撮ったり、スコアを集めて分析するデータ野球もプレイ自体の質とは直接関係ありません。昨今の確率統計を基にしたスモールベースボールもプレイの質を上げるものではありません。
そもそもサイン盗みはどこから生じるかと言えば、相手を騙したり不意打ちをくわすためにサインを使うわけです。サイン即ち暗号自体が卑怯なのです。相手が騙してくるのですから騙されまいとするのは当然で卑怯でも何でもない。
野球の質が上がってくれば(サイン通りのプレイが出来ないレベルでは盗んでも仕方がない)、勝つための技法も増えるというもの。
野球の面白さはプレイ自体だけでなく頭脳戦にもあります。ピックオフとかスクイズとかエンドランとかサインプレイが豊富です。プレイの強度に劣る方が頭脳戦でうっちゃることがあるのも野球の魅力です。そうした魅力を潰してしまうのがこのサイン盗み怪しからん論だと思いますね。サインとサインプレイ禁止をする覚悟がないのにサイン盗み禁止を真顔で言うのはどうかしています。
で、そもそも野球は盗み殺し刺し騙す巾着切りのスポーツだし、競技スポーツ自体が本来、騙したりすかしたり引っ掛けたり弱点を突いたりする卑怯なものだというところから論議を始めないと、タチの悪い偽善と欺瞞にしかならないと思いますね。
マスコミー文科省(国家)ー学校ー世間様の作る物語と商売という甲子園システムを所与とした上でのサイン盗みをピックアップして叩くさまは戦中の野球行政の歪んだ「潔癖」さを想起させます。
「チームが勝つために」は「ルールを守り」「スポーツマンシップを大事にする」前提があって、ということです。
昔のカビの生えた文部省は「巾着切り」の野球も認めたかもしれないけど、世界基準でスポーツの概念が整備され、スポーツマンシップが重視されるとともに、特に青少年スポーツでは「頭脳プレー」は否定されています。スポーツ庁も野球のこういう部分に否定的です。
しかし「世界」への意識がほとんどない日本の指導者が、相変わらず「頭脳プレー」と称して、海外に行けば馬鹿にされ、軽蔑されるプレーを無自覚的に続けているわけです。
ドメスティックでいいといっても、日本国内でのこういう野球を嫌がる人が増えている。
>マスコミー文科省(国家)ー学校ー世間様の作る物語と商売という甲子園システムを所与とした上で
その物語を否定しなければ、野球の未来はない。
ご回答頂きありがとうございます
例え米国やそれ以外であれ学校やチームの宣伝材料としての競技という面はあると思いますが、チームの勝利を経営の宣伝材料とする日本と、選手の育成を目的とし勝利はその結果に過ぎない米国等との違いという事ですか
なんと言いますか、まず公認野球規則の「勝つことを目的とする」という文言を消すことから初めるべきなのではとすら思ってしまいます
しかしxyzさんも少し触れておられますが、直接相手と接触するかどうかの差は大きいとはいえ、競技によっては相手に反則するよう仕向けるプレーも存在するのにそれらとの違いが興味深いですね
>そもそもサイン盗みはどこから生じるかと言えば、相手を騙したり不意打ちをくわすためにサインを使うわけです。サイン即ち暗号自体が卑怯なのです。相手が騙してくるのですから騙されまいとするのは当然で卑怯でも何でもない。
違いますよ。サインは味方同士で意思統一するためのものです。
監督がバント作戦のサインを出す。キャッチャーが変化球やコースを捕球しやすいようにピッチャーにサインで伝える。
そこをわざわざ選手個人がバラバラにプレーしなければならない理由はありません。
また一人の選手が次に行うプレーの意図を事前に相手に伝える必要はありません。例えばピッチャーがどこに投げるかを打者に伝える必要はありません。
それと同様に、どこに投げるかをバッテリーやチームでサイン交換して共有し、相手に知らせないでおいても、卑怯でもなんでもなく、ただの普通のプレーの範囲内であり、なんら問題ありません。
禁止されているのは、自チーム内でのサイン交換ではなく、相手バッテリーのサインを盗むことです。全然中身が違います。
サイン盗み禁止に反論するためにそういう無茶苦茶な立論をしても、無駄ですよ。
サインを盗むのは何故ダメなのでしょうか。
それに日本の野球はプロも高校も勝利至上主義だと思います。
実際プロから声のかかる選手の多くは「勝ってきた選手」ですし。
都合のいいときだけ教育という言葉を持ち出すからややこしいことにになります。
本当に真剣に教育するのなら、シャッスとかウッスというような
辞書に乗っていない謎の言葉を止めるところから始めないと
いけませんね。
もっとも、自分が指導者だとしたら、サイン盗みなんてのは
みっともねーから止めろ、と言うでしょうけどね。
プロが勝利至上主義なのは当たり前ですが、アマが勝利至上主義になっては、競技を楽しむ人はいなくなるでしょう。アマチュアスポーツは強い人だけのものではありませんから。
投手のクセを盗んだり、手の内を類推するのは選手個々の能力のうちですが、サイン盗みは「カンニング」です。