Jリーグの川淵三郎ファウンダーは、デットマール・クラマーの指導するサッカー日本代表の選手だった。
クラマーは、試合で勝利すると、選手たちがロッカールームで喜んでいる最中に「私には行くべきところがある」と言って部屋を後にし、敗戦したチームのロッカールームに向かったという。クラマーはそこで、相手チームの健闘をたたえたのだ。
これ、ちょっと違和感をもたないか?いい話だとは思うが、日本的には「あり」なのか。
おそらく、それまで日本には「勝者が敗者を讃える」文化はなかったと思う。日本では敗者は敗北したことを「恥」だと思う。そこへ勝者がやってくれば「恥」の感情は増幅される。だから、敗者はそっとしておいてほしいと思う。これが日本的ではなかったか。
このあたり、スポーツ本来の考え方と、日本のスポーツ観の微妙な違いが浮き彫りになっている。一般的なスポーツの価値観では、勝敗はスポーツの一側面に過ぎず、負けたからと言って決して恥ずかしくはないのだ。日本では、アマチュアからプロまで「負ければ終わり」だと思う。遊び事からプロの大勝負まで「負けたらおしまいだ」という意識が非常に強い。
島村俊治アナに聞いた話だが、川上哲治は遊びで行ったゴルフでも、絶対に負けを認めなかったという。握っていてもそうでなくても、どんなことをしても勝とうとしたという。
こういう話を聞き、クラマーの逸話を、そのまま受け止められない自分を意識するときに、日本人の「勝利至上主義」の根深さを実感する。

スポーツマンシップが大事だと言っている私だって、子供の試合では勝ってほしいと思う。ひいきのチームはないが、WBCでは侍ジャパンに勝ってほしいと思う。
そもそも「真剣に勝つことを目指す」からこそスポーツは面白いのであり、「勝っても負けてもいい」と思う選手は真剣なプレーができないだろうし、応援する気にもならない。
「真剣に困難な状況を克服して勝利を目指す」はスポーツの定義にもなっている。
では、それは「勝利至上主義」とどう違うのか。スポーツはその結果よりも「いかに真剣にプレーしたか、いかに努力したか」という過程が大事だというのだ。
「結果」「勝敗」ではなく、その「過程」を重要視する。だから、勝者はその結果でおごらず、戦った相手の「努力の過程」を讃えるのだ。
勝敗が決した瞬間に、勝負事を忘れて相手の「努力」を讃える。敗者も同様に勝負事を忘れ、勝者の祝福を受け入れる。ノーサイドとはそういうことなのだ。
これ、わりと難しいかもしれない。私は昨日、新潟県高野連のスポーツマンシップ講演会の取材をし、この分野の第一人者中村聡宏さんの話を聞いたが、聞きながら、自分自身も相当意識を入れ替えていく必要があるわい、と思った次第。

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これ、ちょっと違和感をもたないか?いい話だとは思うが、日本的には「あり」なのか。
おそらく、それまで日本には「勝者が敗者を讃える」文化はなかったと思う。日本では敗者は敗北したことを「恥」だと思う。そこへ勝者がやってくれば「恥」の感情は増幅される。だから、敗者はそっとしておいてほしいと思う。これが日本的ではなかったか。
このあたり、スポーツ本来の考え方と、日本のスポーツ観の微妙な違いが浮き彫りになっている。一般的なスポーツの価値観では、勝敗はスポーツの一側面に過ぎず、負けたからと言って決して恥ずかしくはないのだ。日本では、アマチュアからプロまで「負ければ終わり」だと思う。遊び事からプロの大勝負まで「負けたらおしまいだ」という意識が非常に強い。
島村俊治アナに聞いた話だが、川上哲治は遊びで行ったゴルフでも、絶対に負けを認めなかったという。握っていてもそうでなくても、どんなことをしても勝とうとしたという。
こういう話を聞き、クラマーの逸話を、そのまま受け止められない自分を意識するときに、日本人の「勝利至上主義」の根深さを実感する。

スポーツマンシップが大事だと言っている私だって、子供の試合では勝ってほしいと思う。ひいきのチームはないが、WBCでは侍ジャパンに勝ってほしいと思う。
そもそも「真剣に勝つことを目指す」からこそスポーツは面白いのであり、「勝っても負けてもいい」と思う選手は真剣なプレーができないだろうし、応援する気にもならない。
「真剣に困難な状況を克服して勝利を目指す」はスポーツの定義にもなっている。
では、それは「勝利至上主義」とどう違うのか。スポーツはその結果よりも「いかに真剣にプレーしたか、いかに努力したか」という過程が大事だというのだ。
「結果」「勝敗」ではなく、その「過程」を重要視する。だから、勝者はその結果でおごらず、戦った相手の「努力の過程」を讃えるのだ。
勝敗が決した瞬間に、勝負事を忘れて相手の「努力」を讃える。敗者も同様に勝負事を忘れ、勝者の祝福を受け入れる。ノーサイドとはそういうことなのだ。
これ、わりと難しいかもしれない。私は昨日、新潟県高野連のスポーツマンシップ講演会の取材をし、この分野の第一人者中村聡宏さんの話を聞いたが、聞きながら、自分自身も相当意識を入れ替えていく必要があるわい、と思った次第。

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コメント
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ので、その過程を軽視するので、それが失敗の基になる」
という趣旨の話を読んだことがあります。
失敗例を切り捨てるから、その過程にある「宝」を棄ててしまっているようにも思えます。
一つは、ひたすら外国から最新技術を真似してきた歴史もあるのでしょう。
過程にこだわれば、その技術を真似しきれない。
そういう意味での勝利至上主義てのも強いのでしょう。
良い文章をありがとうございます。
ある有名な監督さんから聞いたのですが、日本の野球は日本の最下層の人たちも娯楽として楽しめ、そうした人たちが発展に寄与してきたとのことです。
賛否あるとは思いますが、博打感覚があったりするのも昭和までの野球にあったのでしょう。
欧米型のスポーツマンシップだけではこの問題は解決しないのではないかと思います。
確かに、日本だけでなくハングリースポーツにはスポーツマンシップのにおいはしません。でもスポーツの進化とともに、そういう部分は消えていくように思います。
スポーツにおいて、勝利を目指すことは自然なことであり、その面で「勝利至上主義」も「勝利」を何とするかによって意味合いも違うと思います。日本においてもっとも良くないのが、「一戦必勝主義」としての「勝利至上主義」だと思います。もし今の野球の取り組みで、メジャーで名選手を継続的に排出していたら、この議論はおこならかったのではないかと思います。元来の日本のスポーツでの「勝利至上主義」(一戦必勝主義)では、トーナメント等初見のチームには勝てても、何度も戦うようなリーグ戦では勝てなくなっている現実があると思います。あらゆる可能性を利用して取り組まないと、世界では勝ち続けられない現実を直視するべきなんだと思います(「勝利継続主義」でしょうか)。「勝利至上主義」か「スポーツマンシップ」かではなく、両方ほどよくが現実的なのでしょう。
「結果ではない、過程が重要なのだ」と言われても、その過程に対しエネルギーを注いだなら注いだ分、その見返り、結果が欲しくなるのが人の性という物ですから。
ましてスポーツでも、競技に真剣に打ち込む者であるほど結果を求めてしまうのを止めることは不可能なのかと思います。
そしてその1番に勝利がある事も
確かに野球ならばチームが敗北しても、打者であれば本塁打を打つ事や華麗な守備で球場を縦横無尽に駆け巡る事。
投手であれば剛球で三振を奪ったり、巧妙な制球で打者を制圧する事など
勝敗以外にも結果と呼べる華々しい要素は多々あるでしょう。
しかしそれらも「勝ち」と「負け」があるからこそ「結果」として意味を持ち得るのだと思えます。
打撃投手相手の本塁打と真剣勝負での本塁打を同価値と捉えている選手に、私は出会った事がありません。
競技に真剣であれば「負けたくない」のですし、試合に勝ち負けがあるならばこれも「負けたくない」のです。
そういう意味で、「勝利至上主義」が「試合の勝利」のみに価値を置こうとするならば、確かにそれは廃さなければなりません。
「試合の勝利」のみへの傾倒は、選手の成長を阻害してしまいます。
しかし、「勝利至上主義」の否定の動きが、選手達の「勝利欲」の抑圧に繋がった場合、競技全体の衰退をもたらしかねないのではないでしょうか。
酷使に警鐘を鳴らす権藤博氏が「高校球児から勝負の機会を奪うことを強制する」として、球数制限に賛同していない理由もその辺りとリンクするものだと感じます。
>しかし、「勝利至上主義」の否定の動きが、選手達の「勝利欲」の抑圧に繋がった場合、競技全体の衰退をもたらしかねないのではないでしょうか。
そんなことはあり得ないと思います。行き過ぎた勝利至上主義が、競技から平凡な競技者を排除すると思います。
「勝利至上主義」の否定は「勝利への意欲」の否定ではありません。
横から失礼します。
野球関連で以下のような特集がUPされていましたが、横浜金沢V・ルークスという少年野球チームの存在はこの記事で知りました。
こういった「脱・勝利至上主義」を掲げたチームが全国各地に増えないと、野球界の未来は暗いと言わざるを得ません。
https://news.yahoo.co.jp/feature/1304
UPしていただいた記事を拝見致しました。ありがとうございます。
たしかに首肯できる部分はたくさんありますね
特に後半の「脱勝利至上主義を掲げたはずが勝利至上主義が目の前にある」という部分は私も経験がありますよ(笑)
学生時代、見学した野球部の結果を求めるピリピリとした雰囲気に「とてもついていけないな」と思い入部を諦めておきながら
いざ入った別の部活に打ち込むようになるといつのまにか結果を求め試合での勝利を求めるようになり出したんですよ
「自分にも結果が出せる」という欲が出てくると、どうしても人間さらなる結果が欲しくなってしまうのですよね
でもそれが競技を続ける上でのモチベーションになっていたことも事実でして
実際、記事の中でルークスの酒井コーチも「何をモチベーションとするのか」という質問に「敗北の中の勝利」と結局「勝ち負け」を第一に挙げておりました。
「勝ち負け」に拘りたくなる選手達を大人達が、その拘りを邪魔しない範囲でどうやって伸ばしてあげられるか
つまり「勝敗至上主義」と「野球振興」の共存が今後の課題なのかなと感じた次第です