NPBで2000本未達打者上位5傑(修正)。
あと100本以内に迫って、名球会入りしなかった打者の顔ぶれ。

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5人のうち4人が、移籍を経験している。

飯田徳治は南海から国鉄に。この当時、2000本は川上哲治しか記録していなかった。川上達成時の新聞の扱いは大きかったが、まだステイタスは確立していなかった。野球殿堂もできたばかりだったし、2000本へのこだわりは少なかっただろう。飯田は2000本はクリアしなかったが、野村克也の前の南海のスター選手であり、MVPもとっているからすんなり殿堂入りした。

毒島はずっと東映で移籍していないが、1970年に就任した田宮謙次郎監督に「ここまで打てば(2000本)打ったようなもんだからいいだろ」と言われたという。田宮も好打者だが1427安打で終わっている。毒島は張本や大杉とともに強力打線を組んだ名選手だ。三塁打のNPB記録も長く持っていた。クリアしていれば殿堂入りもあっただろうし、一番気の毒なケースだ。田宮は殿堂入り。打者としても、監督としても今一つ。私はちょっと納得いかない。

小玉は近鉄の最多安打打者だが、晩年の2年は阪神。人気チームに入ったものの成績不振で「2000本までやらせてください」と言える雰囲気ではなかった感じか。打っていたら川上、山内、榎本に次いで史上4人目になったはずだ。

谷はオリックスからトレードで巨人に。外様に冷たい巨人で頑張りはしたのだが、あとからあとからFA選手がくる中でかすんでしまった。古巣オリックスに戻るももはや遅しだった。「右のイチロー」と言ってもよい好打者だっただけに残念だ。

井端は落合GMから中日をいびり出されて巨人に。晩年でもWBCでの活躍など、しぶとくていい打者だったが同学年の高橋由伸の引退、監督就任に伴ってすぱっとやめてしまった。
アライバコンビの荒木雅博が2000本打っているのだから、普通で言えば打つべき人だった。欲がないというか、無頓着というか。

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今はフランチャイズプレイヤーには「この選手に2000本打たせてあげよう」みたいな甘い空気が流れているが、外様はそうではない。村田修一も1865本で終わったが、こういう例は今後も出るのだろう。


東京球場・シーズン最多本塁打打者/1962~1972

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