SNSでもいろいろ議論をしている。なかには「女子でも男子より野球ができる選手がいるのだから、男女の枠はないほうがいい」という意見もある。しかし「性差」は、厳然と存在する。そう簡単に取っ払うことはできない。
テニスの世界では1973年、女子トッププレイヤーだったビリー・ジーン・キング(日本ではキング夫人と呼ばれた)が、往年の男子名選手ボビー・リッグスの「私は男女同権運動を代表するビリー・ジーン・キングと試合をしたい」という挑発に応えて試合をしたことがある。
キングは30歳、リッグスは55歳。全英全米で優勝経験のあるリッグスだったが、キング夫人は3セットストレート勝ちでリッグスを下した。これは当時、大きく報道され、スポーツ界でのウーマンリブ運動の高まりをもたらした。余談だがキングは後に同性愛者であることをカミングアウトしている。

スポーツにおいて「男女」の別を立てて、2つの競技にすべき理由は主として2つある。
1.体力差、体格差がある。
一般的に、女性は男性よりも体が小さく、筋肉量も少ない。また、俊敏性でも男性よりも劣る。この差はどうしようもない。もちろん、キングの例を見てもわかるように女子のトッププレイヤーが、男子に勝つことは珍しいことではない。しかし男子のトッププレイヤーに真剣勝負で勝つことはほとんどない。女性と男性が同じ競技をすれば、ほとんどの部門で男性が圧勝する。
もちろん例外はあるが、これはどうしようもない。
2.社会的差別が存在する
男尊女卑は、日本のみならず世界中に残存する悪弊だ。特に勝利を追い求めるスポーツでは、能力の高い選手を優先的に起用する。そうなると体力差、体格差のある女性の出場機会は減少する。また指導者も男性がなることが多く、男性本位の考え方でチーム運営や試合が行われる可能性が高い。
「男顔負け」の女性選手が一部にいたとしても、その僅かな例外がいることが「男女同一競技」を導入する根拠にはならない。
野球で言えば、男子野球、女子野球と2つの競技を並立させることで、始めた男女それぞれの選手に十分な出場機会も活躍の場も与えることができる。
たとえ、戦えば男子が女子を圧倒するとしても、それぞれの競技は同格であり、その栄誉は同じ価値を有する。
これこそが「スポーツにおける男女同権」であろう。今後、LGBTの話もスポーツに関わってくるだろうが、その議論は別に譲りたい。ダイバーシティは大事だが、まずは「男女同権」から。
1983年槙原寛己、全登板成績【初登板初完封の衝撃、新人王に輝く】
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1.体力差、体格差がある。
一般的に、女性は男性よりも体が小さく、筋肉量も少ない。また、俊敏性でも男性よりも劣る。この差はどうしようもない。もちろん、キングの例を見てもわかるように女子のトッププレイヤーが、男子に勝つことは珍しいことではない。しかし男子のトッププレイヤーに真剣勝負で勝つことはほとんどない。女性と男性が同じ競技をすれば、ほとんどの部門で男性が圧勝する。
もちろん例外はあるが、これはどうしようもない。
2.社会的差別が存在する
男尊女卑は、日本のみならず世界中に残存する悪弊だ。特に勝利を追い求めるスポーツでは、能力の高い選手を優先的に起用する。そうなると体力差、体格差のある女性の出場機会は減少する。また指導者も男性がなることが多く、男性本位の考え方でチーム運営や試合が行われる可能性が高い。
「男顔負け」の女性選手が一部にいたとしても、その僅かな例外がいることが「男女同一競技」を導入する根拠にはならない。
野球で言えば、男子野球、女子野球と2つの競技を並立させることで、始めた男女それぞれの選手に十分な出場機会も活躍の場も与えることができる。
たとえ、戦えば男子が女子を圧倒するとしても、それぞれの競技は同格であり、その栄誉は同じ価値を有する。
これこそが「スポーツにおける男女同権」であろう。今後、LGBTの話もスポーツに関わってくるだろうが、その議論は別に譲りたい。ダイバーシティは大事だが、まずは「男女同権」から。
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コメント
コメント一覧
明末期の名将の秦良玉は女性でした。
ので、すぐれた計画や建策をしても、男のアホどもは聴く耳を持たずに、負けて、尻拭いをしまくってました・・・。
軍隊ですらこんなの。力があればスポーツでもやればいい。
500年前から、その手のアホは尽きないようで。
でもそれをどういうシステムなり基準でやるかってのが難しいですが、それを為し得るのも智慧ってものでしょうね。
良い記事をありがとうございます。
スポーツで言えば陸上競技は男女に差がある。
興味があったので調べてみると…
砲丸投げ・やり投げは重さ・直径・長さは男女とも違う。
ハンマー投げ・円盤投げも重さは勿論、ハンマーのワイヤーの長さまで違う。
漫画家小林よしのり氏はスパ!やフラッシュに連載された漫画で
「男尊女卑は古い因習だから打破せよ、女性天皇や女性宮家の創設を急げ!」と主張しますが、男性と女性を完全に「同じ」にするのは生物学的に不可能だし、社会的におかしくなってしまうとしている。
氏は男女の性差を無くせという「ジェンダーフリー」思想や基づく性教育を厳しく批判している。
慶大教授の吉村やすのり産科医が、「男女の差異と差別を混同した形で、男女平等の概念が論じられてはならない」と述べていたのが忘れられない。
加藤鷹著『セックスという「闇」』という著書に興味ある一文が。
[第一章セックスの闇はここまで深い〕
の章にある「草食系男子」という不自然、でこう述べている。
『草食系男子は、男と女の性の違いを無視した男女平等意識から生まれたものだと思う。女性は、男を草食化させると、男女の力関係が対等になるように考えているのかもしれない。
政治経済や社会的な男女平等に異論はないが、恋愛やセックスに男女平等を単純に持ち込むのは、どうだろう?
異なる性という問題を無視してセックスを考えることは、生き物としての本質を無視することになるんじゃないだろうか。』(原文ママ)
LGBTについても、リベラル派は男女の性差を無くす「ジェンダーフリー」思想の根拠としてLGBTを挙げてます。
しかしゲイを公言している松浦大悟が月刊Hanadaでの対談記事によると、
男性・女性の性別二元論性を壊そうと思っているLGBTは殆どいない。
何故ならLは女らしさ、Gは男らしさを求め、Tは手術後にMTFは女らしくありたいし、FTMは男らしくありたいのが殆ど、という実態とのこと。Bは男と女が好きなのだから、LBGTにとって男女の性差が無くなると非常に困るという。
そういう意味では、学校での性教育は男女が一緒に学ぶ方が男女双方ともに「男も女も双方に異性愛者が多いが、少ない割合で同性愛者や性同一性障害の人がいる」ということが学べる。
共学なのに男女別の性教育は論外だし、中高一貫の男子校女子校も中1~高2の学年は月に一度性教育を教える制度を設け「男女一緒に学ぶため、互いに半数の生徒をそれぞれの校舎へ移動させる」ように法律を改正しないとダメ。
本コラムの主旨に不適切な場合は削除して構いません。
馬術の場合、運動については馬が担当し、人は動きの制御を担当するからなのでしょう。表彰台に女性が登ることもあるそうなので、こういった種目では男女を分ける必要はないのですね。
動きの制御に俊敏性が影響すると思うのですが、馬術で男女混合が妥当とされることから考えると、俊敏性に性差があっても馬術では男女分離するほどの差は存在しないとみなされているのでしょう。まぁ、筋力に比べれば俊敏性には明確な性差はないようにも思います。