選手の引き際の問題と、セレモニー、そして観客のあるべき態度について、私の考え方をもう一度整理しておく。コメント欄に、残念なコメントがされたので。
選手の引き際のセレモニーや、イベントの規模は、端的に言えば、その選手の功績に比例する。
球史に残る選手であれば、その功績をたたえて大きなセレモニーをする。そこまでいかなければ、セレモニーの大きさは、それよりも見劣りがするものになる。

最近は、ほとんどレギュラーでもない選手でも、球団側が営業に絡めて大層なセレモニーをすることがある。エキシビションゲーム、花相撲であれば、大きな問題はないが、公式戦の枠を割いて選手のセレモニーをすることがある。これなど、消化試合での観客動員を狙ったあざとい企みである。

チームや選手のファンは、その選手がどれほどの選手なのか、大層なイベントに見合うような立派な選手なのかを吟味した上で、拍手を送るべきだが、最近は、一緒に騒げるのなら、安っぽいお涙頂戴で「感動できるのなら」何でもいいと思うおめでたいファンが増えている。これは大変に情けない。

その問題と、実績あるなしに関わらず、引き際で踏ん切りがつかずにダラダラする選手がいることは、また別個である。
「辞めたくない」という気持ちは個人的にはわからないでもないが、未練がましくて、みっともない。晩節を汚すことにもなる。

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しかしそういう引き際だった選手でも、その実績が偉大であれば、大いに拍手を送るべきなのは言うまでもない。

こういうコメントを貰ったが、

イチローですら自己満足と球団の商業的思惑の中で一年長らえた末にかくも醜悪な引退試合を行ないそれを見た観客はキャッキャキャッキャと感動してましたから。

自己満足と球団の商業的思惑の中で一年長らえた末にかくも醜悪な引退試合を行なったのは事実だとしても、観客がそこで惜別のシーンに感動することは、何らおかしいことではない。彼の功績を考えれば、それを「キャッキャキャッキャ」と表現するほうがどうかしている。
引き際がみっともなかったとしても、イチローの功績、人々に与え続けた感動は、それを遥かに上回る。野球好きで、これを正当に評価できないのは不幸だ。

福浦もその実績は、惜別の大きな拍手を送るに足るものだ。だからどんな形のセレモニーにせよ、人々が引退を称えることは問題ない。しかし、それ以前の問題として、イチローと同様、ここまで引退を引き伸ばしたことはいかにも残念だ、ということだ。「晩節を汚す」と言っても良い。

下手をすると、昨今の球団は、1000本安打以下の選手でも同様のことをしかねない。その際に観客は、どう判断するのか?「キャッキャキャッキャ」していいのか?
「実績がなくても、俺はこの選手のファンだったんだ、だから、立派なセレモニーをシてくれるのは嬉しい」という人もいるだろうが、分不相応なイベントは、その選手の価値を高めない。私はそういうファンとはお友達にはなりたくない。
情実を度外視して、選手を正当に評価するのが本当の野球ファンだと私は確信している。ヘボな選手を大げさに称えるは贔屓の引き倒しだ。

大相撲はその点、合理的だ。引退相撲は立派な関取衆でなければ出来ない。褌担ぎは贔屓を回って餞別をもらってサヨナラである。

よく売れない芸人が「芸能生活20周年」みたいなイベントをやるが、親戚や知り合いはともかく、周囲の人は「そんなことするような顔かよ」と心のなかで思っているものだ。それと同じでみっともない。

プロ野球選手は、現役時代の功績で引退セレモニーの大きさが決まる(その後のステイタスもそうだろうが)。そのことと引き際の潔さは別の話だということだ。引き際がみっともなくとも、偉大な選手はちゃんと見送るべきだ、ということだ。
ご理解いただけたか?


ルーキー最多安打レース・2019

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