新聞社、通信社の知り合いはたくさんいる。個人的に話をすれば「引退する選手が公式戦に出ること」については口を揃えて「おかしいよね」という。スポーツ新聞でも一般紙でも、テレビでも私はこれを積極的に肯定する記者は見たことがない(アナウンサーは知らないが)。

しかしながら彼らが禄を食むテレビや新聞は公式戦の引退試合をもろ手を挙げて讃えている。素晴らしいと連呼している。なぜなのか?

それは一つに「球団がやることには逆らえない」からだ。球団が集客目的で大々的にやっている「引退試合」を批判すると、その球団、選手、監督から取材に応じてもらえない可能性がある。球団幹部からデスクに連絡が入って、出入り禁止になったりする。だから、こうした「興行」に異論をはさむのはタブーになっている。

もう一つは「感動の引退試合」は、受けるからだ。視聴率もよくなるし、スポンサーの受けもよい。「感動」は、今、メディアで最上級の「通貨」になっているから、ことの「是非」よりも、「とにかく感動できる」ことが求められる。ジャーナリズム、言論よりも「商売」が優先されているのだ。

IMG_8885


さらに言えばメディアは「一度賛成したものをあとから訂正、否定することができない」。一個の人間であれば「あのときはこう言ったが、それは間違いだった」と言えばいいが、メディアはいつの間にか「無謬性」を求められるようになった。とくに「従軍慰安婦」で朝日新聞が叩きまくられてからは「当新聞社の論調は間違っていた」とは口が裂けても言えない。

「公式戦での引退試合」がだんだんエスカレートしていることを疑問視する記者は増えているが「今更言えない」ために絶対に書かない。

結局、ネットメディア、雑誌メディアなどがゲリラ的に書く以外は、どこにもこういう論調は出ない。

この話は、正面切って異論を唱えると、大問題化しかねない。スポーツの根幹にかかわる問題をはらんでいるからだ。
責任問題にもなってくる。それをメディアは知っているから「今更言えない」と思っている。

IMG_2298


このあたりの構造は「甲子園」「高校野球」の問題ともよく似ている。

アメリカでもこうした「演出」はないわけではない。アンリトゥンルールの中にはそれを助長するものもある。しかし、それが行き過ぎると批判する意見が必ず出てくる。そうした健全性がある。

リテラシーの低い人は、メディアの賛美大合唱に安心して「公式戦での引退試合」で、涙を流すようになっている。これを「愚民化」という。

スポーツの話で大層な、というかもしれないが、昔の日本はこういうかたちでメディアが硬直化し、機能を失って「戦争」になだれこんだのだ。
メディアがまともにならないと、日本の未来はおかしくなる。


「宇佐美式勝利打点」を調べてみました・2019|9月24日まで

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓

好評発売中!