前の記事にも少し書いたが、最近、モノが言いにくくなっている。
ここ数年とか、去年からというスパンではなく、はっきりここ数か月、記事を書くと修正させられたり、ときには没になったりすることが多くなっている。
別にメディアや編集者がを書き手に圧力かけているのではなく、取材対象に異常に気を遣うようになったということだ。そうした企業の「組織防衛」が強化されているのだろう。

そんな中で「公式戦で引退試合をすること」について批判的な書くことができるメディアは、スクープで世間を騒がすような雑誌系のメディア、そして日常的にプロ野球チームとつながっていないメディアだ。

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毎日のように球団、選手と顔を合わせ、話をし、それを記事にしているメディアは批判的な記事は書かない。球団の意向に沿った記事だけを書いている。
また記者たちも「担当する球団のファンの代表」だと錯覚して「大本営発表」記事をそのまま伝えることに終始している。

今の一般メディアは、そういう記者ばかりだ。阿部慎之助引退記者会見で、各メディアの記者たちがおそろいの「10」のTシャツをうれしそうに来ていたが、要するにこれが今のスポーツメディアの姿だ。

「ファンが喜ぶ記事を書いて何が悪い」というかもしれないが、そういう「お知らせ」だけなら球団発行のファンクラブ機関誌などでこと足りるのだ。

プロ野球球団職員にはスポーツ紙から転職した人も多い。広報の会議では「スポーツ紙と我々は一心同体、これからも彼らを支援しよう」という意見が出ているようだ。
このことは複数の広報担当者から聞いた。彼らは「これって、おかしいよね」と言っていたが、そういうまともな人もいるにせよ、プロ野球とスポーツ紙にはこうした癒着の図式ができているのだ。

新聞、テレビなどの既存メディアが、金も払わずに球場に行って、一番良い席で試合を見て、選手に話を聞くことができるのは、読者の代行者として「知る権利」を行使するためだ。「ここで何が行われているのか?それはどういう意味を持つものなのか」を伝えるためだ。
いやしくもメディアとして、取材対象に対峙しているからには、球団、選手にとって「耳が痛い」記事も書いてこそ存在意義がある。

そういう記事は一切書かず、球団や選手の「(どうでも)いい話」ばかりを書いているから、スポーツ紙は世間の信頼をどんどん失っている。

知り合いのスポーツ紙記者から「3か月でいいからうちの新聞取ってくれ」と頼まれたこともある。そこまで追い詰められてるのか、と思った。3か月とってみたが、1分も読む気にならない。聞きしに勝る内容のなさだった。これではだれも買わない、と思った。

過去20年でスポーツ新聞の発行部数総数は638万部から308万部に激減している。部数減は加速している。このままいけば、20年以内にスポーツ紙は消滅する。

能天気な翼賛記事しか書かないメディア、野球界、プロ野球の「あるべき姿」についてビジョンを提示できないメディアは、消えていく運命だ。
そのことを、当のメディアと記者は、はっきりと意識すべきだろう。



ルーキー最多安打レース・2019

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