日米のFA権の違いについて紹介する記事をFRIDAYデジタルに書いたが、転送したYahoo!のコメント欄をみると「日本は日本」とか「なんでもアメリカが良いわけではない」という趣旨のコメントが出てきている。


日本が右傾化したのをはっきり感じるのが、この手の愚かしい意見だ。「アメリカとは文化が違う」「日本には日本のやり方がある」といいたいのだ。ときどき私のことを「アメリカの回し者」みたいに言う人もいる。英語もしゃべれないのに。

この手の意見の持ち主は、それ以上の知識を持っていないことが多い。
FAで言えば「日本のFAルールができた背景」や「アメリカのFA権獲得の事情」について、特段の知識を持っているわけではない。
ただただ、自国のやり方が「良くない」と言われたことが腹立たしくて反論しているのだ。

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老人くさくて、愚かしくて、うんざりするが、こういう意見とも言えない「感情の吐露」をする人が、今は一定数いるのだ。

そういう人は「日本の良いところ」を評価しているのではなく、「日本のやり方だから良い」「日本人だから日本の物事は何でもOK」と言っているだけなのだ。
内容には一切立ち入らないで、ただただ「日本ばんざい」と言っているだけ。不誠実で、日本のためにもならない。
しかし中身がなくて理解力も低いので、そういう意見の持ち主を説得するのは至難の業だ。
ネット社会では、こんなお粗末な言い草が「意見」として世間に流布してしまうのだ。

そういう人の特徴として、本来の意見の趣旨、大局とは何の関係もない瑕疵を見つけて揚げ足取りをすることも多い。自分のわかるところだけにつけ行って、ダメージを与えた気になるのだ。知的レベルの低さを感じる。

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今の「甲子園」を「麗しい日本の伝統」と賛美する人たちも、この手の人たちだ。「アメリカでどうなっているかは関係ない、甲子園には甲子園の良さがある」と言ったりする。この手の意見が残念なのは、それ以上深まることがないことだ。
この手の人が振り回す「伝統」は、本当の意味での「日本の伝統」とは何の関係もない。
本当の「伝統」は、時間、時代の風雪に抗って、先人たちが必死に守ってきたものだ。現代に伝えられている「本物の伝統」は、それぞれに迫力があるし、中身がある。そして残ってきたものだけが持つ「説得力」がある。
高々1世紀ほど前に、新聞社のキャンペーンとして始まった「甲子園」が「伝統」であってたまるか、と思う。もちろん、昔の中等学校野球、今の高校野球が日本全国に野球を普及するうえで圧倒的な役割をしたことは認めるが、見方を変えれば、新聞を売るために高校生をダシにして大騒ぎしてきたといえなくもない。

「日本には日本のやり方がある」と胸を張って言う人には「ほう、例えばどういうやり方ですか?」と聞いてみればいい。具体的な答えは、ほとんど返ってこない。
この手のことを言う人は、本当は日本の長所も短所も知らないし、自分自身にも定見がないことが多いのだ。
そういう内容のない「日本贔屓の引き倒し」は、鼻で笑ってやればいいのである。


1964年金田正一、全登板成績【スワローズ最後の年、最後の20勝到達】

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