野球だけではないが、いい年をして「精神論」の講釈を垂れる人を見かけたら「あ、この人は勉強していないな」と思っていいと思う。
「精神論」は、「メンタルトレーニング」とは似て非なる言葉だ。
人間がどんな状況で、どんな精神状態になるか。そして行動や結果を良い方に向けていくためにはどういうメンタルトレーニングをすべきか、みたいなアプローチはスポーツだけでなく、すべての「生きている人」に必要だろう。
「精神論」とは、「あらゆる苦難を精神力で克服する」みたいな単純な理屈である。
日本や韓国など東アジアでよく見かける。両国は禅文化の影響を強く受けている。禅宗は仏教の中でもかなり特殊で「精神の持ちようで現実社会をうまく渡っていく」ことにたてけいる。「解脱」を求める他の宗派に比べればかなり現実的なのだ。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」などの言葉からもわかるように「精神力で現実の苦難を乗り越える」ことを唱えている。
これに朱子学的な「精神一到何事か成らざらん」が混ざりあって日本の「精神論」ができている。

野球選手が丸坊主なのは、禅宗の坊主にならったものだろう。彼らは「修行僧」みたいなものなのだ。
で、指導者や先輩のしごきやいじめ、苦しい練習にも耐えていく。
こういうパワハラまがいの圧力に耐えることで「精神力」が鍛えられる、というのだが、これは要するに「我慢する」「辛抱する」ことを覚えるということだ。修行を積むと、どんな厳しいシゴキにも耐えることができるようになるというが、おそらくそれは自己の防衛本能によって、感性や感覚が「鈍感」になっていくことを意味しているのだろう。
野球によってそういう人間に改造された人は、上下関係の厳しい組織では極めて忠実な「一兵卒」になる。上からは扱いやすいが、自分から何かを提案したり、進んで行動する能力はないため「幹部候補」にはなれなかったりする。
今の野球を語るときにこの手の「精神論」は全く役に立たない。現代社会も、スポーツも、そして野球の世界も「上の言うことを聞いて我慢していればなんとかなる」ような生易しいものではなくなっている。
未だに「厳しい練習を課すことで精神が鍛えられる」と言っている人を見かけたら、その場を立ち去ったほうが良いと思う。
1985年福間納、全登板成績【やられたらやり返せ、リーグ優勝&日本一に貢献】
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こういうパワハラまがいの圧力に耐えることで「精神力」が鍛えられる、というのだが、これは要するに「我慢する」「辛抱する」ことを覚えるということだ。修行を積むと、どんな厳しいシゴキにも耐えることができるようになるというが、おそらくそれは自己の防衛本能によって、感性や感覚が「鈍感」になっていくことを意味しているのだろう。
野球によってそういう人間に改造された人は、上下関係の厳しい組織では極めて忠実な「一兵卒」になる。上からは扱いやすいが、自分から何かを提案したり、進んで行動する能力はないため「幹部候補」にはなれなかったりする。
今の野球を語るときにこの手の「精神論」は全く役に立たない。現代社会も、スポーツも、そして野球の世界も「上の言うことを聞いて我慢していればなんとかなる」ような生易しいものではなくなっている。
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