最後に日本のプロ野球の「サイン盗み」について見ていこう。



1936年にペナントレースが始まった日本プロ野球は、大学野球のスタイルを踏襲していた。
当然、サイン盗みは行われていた。むしろ「小よく大を制す」「頭脳プレー」などともてはやされる風潮があった。

何事につけ小細工に長けた日本人は、本家のMLBよりもきめ細かな「サイン盗み」の手法を編み出す。これに対抗するためサインもより複雑なものになる。

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草創期、名内野手として鳴らした本堂保次は「サイン盗みの名人」と呼ばれ、監督やコーチのサインをことごとく見破った。ここでいう「サイン盗み」とは、ベンチやコーチャーズボックスからの作戦指示を見破るという意味だ。
プロ野球中継が始まっても、1970年代まで日本のテレビは捕手の背後からの映像しか流さない時代が長く続いたが、これは捕手を正面から撮ると「サインを相手打者に知られてしまう」というプロ野球側からの抗議があったからだという。

捕手のサインを盗んで打者に伝えるという「サイン盗み」も横行していたが、二塁走者のサイン盗みが難しくなると、外野の最前列やスコアボードなどに人を配してサインを伝達する方法が発達した。外野に人を二人座らせ、立ったり座ったりしてサインを送ることもあった。また相手ベンチに盗聴器を仕掛けることも普通に行われていた。

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三原脩、野村克也など「名将」と呼ばれた指導者は当然のごとく「サイン盗み」を行っていた。

こうした行為がエスカレートして、捕手のサインはますます複雑になる。しかもイニングごとに変更したりした。投手は覚えきれなくなったために「乱数表」という表をグラブに縫い付けるようになる。
しかしサインの交換に時間がかかり、試合時間が伸びるという指摘があり、1983年に禁止となった。

以後は、通信機を使ったサイン交換やサイン盗みが行われるようになる。

MLBでの「サイン盗み禁止」の方向性を受けて、1984年にはコミッショナー通達でスパイ行為の禁止の伝達が行われる。

1998年、ダイエーホークスが球場内モニターの画像で捕手のサインを盗み取り、外野に待機させたアルバイトを経由して選手に伝達していたことを西日本新聞がスクープ、球団側は否定したがパ・リーグは特別調査委員会を立ち上げ、ダイエー社長を職務停止処分にした。
このときに「二塁走者やコーチによるサイン盗みも禁止」と通達された。

2009年、セ・パ両リーグはようやく「スパイ行為の禁止」を「申し合わせ事項」にした。

しかし今に至るも、サイン盗みに類する行為は行われていると思われる。その点ではMLBと大差ない状況だ。


1985年福間納、全登板成績【やられたらやり返せ、リーグ優勝&日本一に貢献】

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