長い巣ごもりにまかせて「サピエンス全史」を読んでいる。なかなか衝撃的だ。
ホモ・サピエンスがネアンデルタール人などの他の人類との競争に打ち勝って、かつてない繁殖をしたのは「認知革命」が起こったからだ。
他の人類は、目の前で起こっていることに対応することしかできなかったが、サピエンスは「思考」を持つことで未来を予測し、目的をもって行動することができるようになった。そしてさらに「神」「創造主」など「虚構」を作ることにより、そこに向けて多くの人が共同で動くことができるようになった。
これによってサピエンスは、他の生物とは懸絶した存在になった。人類は、自分たちが作った「虚構」であるイデオロギーや宗教に則って、歴史を創ってきたわけだ。
人類の歴史は「虚構」の上に載っている。大層な話ではあるが、「虚構」にも優劣がある。より普遍性があり、多くの人々に該当する「虚構」は、限定的で特殊な「虚構」よりも優先される。
にわかに卑近な話になるが、スポーツ、スポーツマンシップと言う「虚構」は、19世紀ヨーロッパに生まれ、市民社会が誕生した20世紀に普及した。スポーツは人々が健康な生活を送る上で必要な「楽しみ」であり「生きがい」だ。

日本の高校野球は「西洋からのスポーツの移入」から生まれたが、100年ほど前に、新たな「虚構」を身にまとうようになった。「甲子園は高校野球の聖地である」。「3年間野球に全身全霊をささげることには最高の価値がある」「そのために健康を犠牲にするのも許される」。これらの「虚構」は、新聞を売りたい新聞社と、高校野球関係者などごく一部の人が勝手に作った小さな「虚構」だったが、新聞と言うメディアが大々的に喧伝したために、あたかも「スポーツ」よりも「学校教育」よりもありがたいものであるかのような意識を持つ人がたくさんいるようになった。
新型コロナウイルス禍で、甲子園に出られない高校球児に過剰に感情移入して「何とか出場させてやりたい」「夢をかなえさせたい」大げさに嘆く人たちは、高校野球と言う「虚構」を信じているわけだ。いろんな「虚構」の中でも、普遍性のないものではあるが。
確かに高校球児が野球はできないのは気の毒だが、長い人生の中で挫折はいっぱいあるのだ。野球が好きで、やりたいと思えば、続ければいいだけのことだ。
パンデミックは、たかが野球ごときに気を使ったりしない。人々の営みをどんどん押し流していく。
いつまでもそのことに拘泥せずに、高校球児も我々も「どう生きるか」を考えるべきだ。
1953年関根潤三、全登板成績【オールスターにファン投票1位で選出の年】
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他の人類は、目の前で起こっていることに対応することしかできなかったが、サピエンスは「思考」を持つことで未来を予測し、目的をもって行動することができるようになった。そしてさらに「神」「創造主」など「虚構」を作ることにより、そこに向けて多くの人が共同で動くことができるようになった。
これによってサピエンスは、他の生物とは懸絶した存在になった。人類は、自分たちが作った「虚構」であるイデオロギーや宗教に則って、歴史を創ってきたわけだ。
人類の歴史は「虚構」の上に載っている。大層な話ではあるが、「虚構」にも優劣がある。より普遍性があり、多くの人々に該当する「虚構」は、限定的で特殊な「虚構」よりも優先される。
にわかに卑近な話になるが、スポーツ、スポーツマンシップと言う「虚構」は、19世紀ヨーロッパに生まれ、市民社会が誕生した20世紀に普及した。スポーツは人々が健康な生活を送る上で必要な「楽しみ」であり「生きがい」だ。

日本の高校野球は「西洋からのスポーツの移入」から生まれたが、100年ほど前に、新たな「虚構」を身にまとうようになった。「甲子園は高校野球の聖地である」。「3年間野球に全身全霊をささげることには最高の価値がある」「そのために健康を犠牲にするのも許される」。これらの「虚構」は、新聞を売りたい新聞社と、高校野球関係者などごく一部の人が勝手に作った小さな「虚構」だったが、新聞と言うメディアが大々的に喧伝したために、あたかも「スポーツ」よりも「学校教育」よりもありがたいものであるかのような意識を持つ人がたくさんいるようになった。
新型コロナウイルス禍で、甲子園に出られない高校球児に過剰に感情移入して「何とか出場させてやりたい」「夢をかなえさせたい」大げさに嘆く人たちは、高校野球と言う「虚構」を信じているわけだ。いろんな「虚構」の中でも、普遍性のないものではあるが。
確かに高校球児が野球はできないのは気の毒だが、長い人生の中で挫折はいっぱいあるのだ。野球が好きで、やりたいと思えば、続ければいいだけのことだ。
パンデミックは、たかが野球ごときに気を使ったりしない。人々の営みをどんどん押し流していく。
いつまでもそのことに拘泥せずに、高校球児も我々も「どう生きるか」を考えるべきだ。
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コメント
コメント一覧
こいつは夢も否定するんか
夢も当然、虚構です。実態がないですから。否定も肯定もしませんが。
感情論でモノを言っても仕方がない。
三国志あたりを顧みれば、歴史すら虚構と渾然一体になっています。荒くれ者の劉備玄徳を大徳の者とするために、張飛が割食ってしまったり、儒家道家渾然一体となった諸葛孔明という「大軍師」だったり。どこが真実で、どこが虚構なんだか分からない始末。
虚構を信じちゃいけませんが、虚構だと判って楽しむのが大人の楽しみではないかと思います。
現実を冷徹に見据えれば、どうすべきかは考えるまでもない。そう思うんですがねぇ、そもそも、学校休んでいたあいだの補講を真面目にやったら、予選の試合自体平日には出来ないんじゃぁないかと。
『この経験を未来のために活かそう!』
こんな、なけなしの慰めを子供達にかける事に大人の私も倦んでいる。
例えば太平洋戦争の前後で大きく価値観や制度が変わり、社会の仕組みも変わりました。仕事が変わったり、財産や土地を失う人たちも大量に発生しました。
歴史の変わり目というのはそういうものなのでしょう。
今回のコロナパンデミックは今のところまだ影響は限定的です。ダメージもスポーツや観光や飲食店など特定分野に集中しています。期間が長引けば、じわじわと拡大していくはずです。
高校野球や学校部活はかなりのダメージを食らっていますが、おそらくここが変化の潮時なんだろうと思います。今までさんざん指摘され問題視されながら改善されてこなかった負の部分を剔抉して改善する時機に差し掛かっているんでしょう。
古い賞味期限切れの「虚構」が消えていき、また新しい何らかの「虚構」が現れて取って代わる。その新しい何ごとかを探り当て、作ることが大切。時代の変わり目というのはそういうものだろうと思います。
高校球児たちにとっても、今は残念であっても、その後の人生でその新しい何ごとかに価値と喜びを感じ取ってもらえればと思います。
素晴らしい見解だと思います。