トム・シーバー、ルー・ブロックに続いてショッキングな話である。

日本の野球ファンにとって1978年は、一つの区切りになるだろう。この年にフジテレビのMLB中継が始まったのだ。2年で終わったが、多くの関連ムックや書籍が発売され、MLBへの知識が一気に増えたからだ。

私は当時、これらの出版物を残らず読んだ。この1978年の時点で現役だった選手はオンタイムで「知っている」という感覚になる。しかしそれ以前の選手は「歴史的存在」だと思う。

トム・シーバーは「知っている」。1979年引退のルー・ブロックは辛うじて「知っている」。1975年引退のボブ・ギブソンは「歴史的存在」ではある。

キャリアSTATS

Bob Gibson


1935年生11月まれ。日本的に言えば、野村克也、長嶋茂雄と同世代だ。
黒人としてはジャッキー・ロビンソンが切り開いた道を進んだ世代ということになる。ニグロリーグの経験はない。

クレイトン大学から1957年にカーディナルスに入り、1959年はメジャーデビューするが、最初のうちは芳しい成績ではなかった。

球は速かったが荒れ球で四球が多く、信頼感が低かった。1961年には119もの四球を与えている。
制球力の悪さはなかなか克服できなかったが、スライダー、カーブに磨きがかかるとともに奪三振率が向上して大エースになっていく。

当時としては長身で、腕が長く、その腕を横に滑らせて投げた。スリークオーターだった。一塁側に大きく傾く投法。厳しい内角攻めが特徴で「首狩り族」と言われた。このあたりペドロ・マルチネスを思わせる。
そういうダイナミックなフォームでありながら、守備は抜群にうまかった。運動神経が良かったのだろう。

ポストシーズンでは1967年の快投が有名だが、自信のキャリアハイは翌1968年。当時のカーディナルスはルー・ブロック、オーランド・セペダ、カート・フラッド、マイク・シャノン、ロジャー・マリスらの打線だったが、パンチ力に欠け、ギブソンの投手力で持っているチームだった。9歳下のスティーブ・カールトンが台頭していたが、ギブソンのチームだったと言えよう。

しかし1968年のERA1.12はすごいの一時だ。1950年以降で1点代前半の防御率はこの時のギブソンだけだ。

日本でいえば村山実と江夏豊を足したような存在か。

そういう時期が来たと思うが、ウィリー・メイズやカール・ヤストレムスキーは元気だろうかと思ってしまう。


中日・ナゴヤ球場・ナゴヤドーム・シーズン最多本塁打打者/1950~1988、2007~2019

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