Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2012年 4/19号


もはや意地になって、歯を食いしばって買い続けている『週刊ベースボール』や、「また、濃い本を作ってからに」とつぶやきながら買う白夜書房の本とは違い、『Number』は何となく「もういいかな」と思うようになっていた。
思えば、この雑誌には度々目を見開かされた。「江夏の21球」がそうだし、F1をめぐる取材も専門誌とは一線を画したものだった。また、4年に一度のワールドカップ前後は、中身の濃い特集を頭からしっぽまで読んだものだ。さらにいえば、華やかなりしころの大相撲だって『Number』は見事に照射してくれたものだ。
気鋭のライターがトップアスリートに迫り、“何か”を手に入れる。一瞬一瞬に繰り広げられるスポーツのドラマを、剃刀のように鋭く、鮮やかに切片にして見せてくれる。
はっきりいえば、『Number』は「腕」が違うのだ。「一流の書き手」と天下の『文藝春秋』が認めたライターが書いている。文体も、構成も一流。同じ魚を前にしても、包丁の冴えが違うから、出来上がる料理が違ってくる。専門誌にはないクオリティが、読者を堪能させるのだ。
しかしながら、最近の『Number』には、あまり触手が動かなくなっていた。一つには、取り上げるテーマが陳腐化しているように思えたこと。1年たてばまた桜の季節がめぐってくるように、ルーティンの特集が季節ごとに巡ってくる。インタビューする人もされる人物も同じ。そして包丁さばきは見事ながら、出される料理だって同巧異曲。“季節の挨拶”といっては酷だろうが、身上であるはずの「切り口の冴え」が見られないと思うようになったのだ。
インターネットの普及によって、プロアマ問わず、さまざまな情報がネット上を飛び交うようになった(当方もそうだが)。オンタイムに近い速報と、一次二次の重層的な情報の重なりによって、人々は食傷気味なのだ。『Number』に手が行かないのは、その分厚い情報が、すでにお腹いっぱいの我々にとって「重い」ということもあったかもしれない。
でも、改めてじっくりと読んでみると、やはり『Number』は読みごたえがあった。石田雄太氏の記事でいえば、今やボディランゲージと禅語でコミュニケーションしようとしているイチローよりも、川崎宗則の方がずっと良かった。開幕2戦でまだ結果を出していないダルビッシュの記事では、今露呈しつつある彼の欠陥が、スプリングトレーニングのかなり早い段階から内包されていたことに、改めて気付かされた。
『Number』の良いところは、専門誌ではないから、いつでもビギナーに対する視線を忘れていないことだ。この号でいえば、ダルビッシュが所属するテキサス・レンジャーズ=TEXというチームについての紹介をしている。彼のライバルとなるアメリカンリーグの打者、投手の紹介もしている。
専門誌というのは、常に「専門バカ」になる危険性をはらんでいる。オタクに細かな情報を伝える能力には長けているが、自らの専門分野を概説したり、俯瞰的にみる視点がいつしか消える傾向にあるのだ。
『Number』は、そうした基本中の基本の情報を、いつも的確に伝えてくれる。実は野球のことばかり考えている私にしても、一番必要なのはそうした大きな視野をもった客観的な情報だ。
わずか見開きの記事ながら、「日本人選手の『本当の評価』」という記事も内容があった。新しい情報はないものの日本人選手の市場価値がしっかり押さえられていた。
ただ、最近の『Number』の特集記事はやや薄くなる傾向にある。印象だけでいうが、昔なら冊子の70%くらいが特集記事だったが、今は60%以下。第二特集やルーティン記事の比率が高くなっている。これは安定的な売上を得るためには必要なのかもしれない。
私が『Number』を物足りなく思っているのには、もうひとつ大きな理由がある。それはこの雑誌が一般メディアでいう「新聞に対する週刊誌」の役割を果たしていないことだ。新聞、テレビなどいわゆる記者クラブ系のメディアでは言えないこと、取り上げられないことを週刊誌は取り上げ、掘り下げることで大きな役割を果たしてきた。
しかし『Number』は、「清武の乱」やこのあいだの「朝日の乱」であまり語ることがなかった。その手のライターを擁していないという事情はあろうが、そういう部分に触れないことで、自らのポジションを守ろうという思惑があるように思えるのだ。
業界側、体制側に取り込まれることで、「気持ちのいい文章」を発信しているのだとすれば、『Number』は、もはやジャーナリズムではなく「文芸誌」ではないのか。そこから発せられる情報は「記事」ではなく「作品」になるのではないか。現場に身を置きながら、スポーツ界に巣食う矛盾や不正から目をそらせる限り、失礼なことを言えば「利いた風なことを言っている」だけではないか、と思えてくるのだ。
最近の『Number』にオーラを感じないのは、そういう部分も含め、新しい切り口、新しい視点を見出そうという意欲が見えないからだ。
かねてから私は『Number』は全日空の機内誌『翼の王国』とたたずまいが似ていると思っていた。両誌ともに日本有数のクオリティ・マガジンであるのは間違いないが、少なくとも『Number』は、シートベルトを着用している間の“ひまつぶし”よりも先鋭的であるべきだと思うが、いかがか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
※お断り。今日明日と東京に出てきているのですが「クラシックSTATS鑑賞」などのデータを入れた外付けHDDを家に忘れてきました。よって連載は、ここ2日間お休みさせていただきます。
そのかわり、近日スタートさせようと考えていた大型企画「ビジネスモデルで見る野球史」の前章などを書きます。ご容赦ください。
思えば、この雑誌には度々目を見開かされた。「江夏の21球」がそうだし、F1をめぐる取材も専門誌とは一線を画したものだった。また、4年に一度のワールドカップ前後は、中身の濃い特集を頭からしっぽまで読んだものだ。さらにいえば、華やかなりしころの大相撲だって『Number』は見事に照射してくれたものだ。
気鋭のライターがトップアスリートに迫り、“何か”を手に入れる。一瞬一瞬に繰り広げられるスポーツのドラマを、剃刀のように鋭く、鮮やかに切片にして見せてくれる。
はっきりいえば、『Number』は「腕」が違うのだ。「一流の書き手」と天下の『文藝春秋』が認めたライターが書いている。文体も、構成も一流。同じ魚を前にしても、包丁の冴えが違うから、出来上がる料理が違ってくる。専門誌にはないクオリティが、読者を堪能させるのだ。
しかしながら、最近の『Number』には、あまり触手が動かなくなっていた。一つには、取り上げるテーマが陳腐化しているように思えたこと。1年たてばまた桜の季節がめぐってくるように、ルーティンの特集が季節ごとに巡ってくる。インタビューする人もされる人物も同じ。そして包丁さばきは見事ながら、出される料理だって同巧異曲。“季節の挨拶”といっては酷だろうが、身上であるはずの「切り口の冴え」が見られないと思うようになったのだ。
インターネットの普及によって、プロアマ問わず、さまざまな情報がネット上を飛び交うようになった(当方もそうだが)。オンタイムに近い速報と、一次二次の重層的な情報の重なりによって、人々は食傷気味なのだ。『Number』に手が行かないのは、その分厚い情報が、すでにお腹いっぱいの我々にとって「重い」ということもあったかもしれない。
でも、改めてじっくりと読んでみると、やはり『Number』は読みごたえがあった。石田雄太氏の記事でいえば、今やボディランゲージと禅語でコミュニケーションしようとしているイチローよりも、川崎宗則の方がずっと良かった。開幕2戦でまだ結果を出していないダルビッシュの記事では、今露呈しつつある彼の欠陥が、スプリングトレーニングのかなり早い段階から内包されていたことに、改めて気付かされた。
『Number』の良いところは、専門誌ではないから、いつでもビギナーに対する視線を忘れていないことだ。この号でいえば、ダルビッシュが所属するテキサス・レンジャーズ=TEXというチームについての紹介をしている。彼のライバルとなるアメリカンリーグの打者、投手の紹介もしている。
専門誌というのは、常に「専門バカ」になる危険性をはらんでいる。オタクに細かな情報を伝える能力には長けているが、自らの専門分野を概説したり、俯瞰的にみる視点がいつしか消える傾向にあるのだ。
『Number』は、そうした基本中の基本の情報を、いつも的確に伝えてくれる。実は野球のことばかり考えている私にしても、一番必要なのはそうした大きな視野をもった客観的な情報だ。
わずか見開きの記事ながら、「日本人選手の『本当の評価』」という記事も内容があった。新しい情報はないものの日本人選手の市場価値がしっかり押さえられていた。
ただ、最近の『Number』の特集記事はやや薄くなる傾向にある。印象だけでいうが、昔なら冊子の70%くらいが特集記事だったが、今は60%以下。第二特集やルーティン記事の比率が高くなっている。これは安定的な売上を得るためには必要なのかもしれない。
私が『Number』を物足りなく思っているのには、もうひとつ大きな理由がある。それはこの雑誌が一般メディアでいう「新聞に対する週刊誌」の役割を果たしていないことだ。新聞、テレビなどいわゆる記者クラブ系のメディアでは言えないこと、取り上げられないことを週刊誌は取り上げ、掘り下げることで大きな役割を果たしてきた。
しかし『Number』は、「清武の乱」やこのあいだの「朝日の乱」であまり語ることがなかった。その手のライターを擁していないという事情はあろうが、そういう部分に触れないことで、自らのポジションを守ろうという思惑があるように思えるのだ。
業界側、体制側に取り込まれることで、「気持ちのいい文章」を発信しているのだとすれば、『Number』は、もはやジャーナリズムではなく「文芸誌」ではないのか。そこから発せられる情報は「記事」ではなく「作品」になるのではないか。現場に身を置きながら、スポーツ界に巣食う矛盾や不正から目をそらせる限り、失礼なことを言えば「利いた風なことを言っている」だけではないか、と思えてくるのだ。
最近の『Number』にオーラを感じないのは、そういう部分も含め、新しい切り口、新しい視点を見出そうという意欲が見えないからだ。
かねてから私は『Number』は全日空の機内誌『翼の王国』とたたずまいが似ていると思っていた。両誌ともに日本有数のクオリティ・マガジンであるのは間違いないが、少なくとも『Number』は、シートベルトを着用している間の“ひまつぶし”よりも先鋭的であるべきだと思うが、いかがか。
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひ、コメントもお寄せください!
↓
※お断り。今日明日と東京に出てきているのですが「クラシックSTATS鑑賞」などのデータを入れた外付けHDDを家に忘れてきました。よって連載は、ここ2日間お休みさせていただきます。
そのかわり、近日スタートさせようと考えていた大型企画「ビジネスモデルで見る野球史」の前章などを書きます。ご容赦ください。
コメント
コメント一覧
「Number」、野球好きの方には評判が悪いものだと思っていました。一時期はっきりとサッカーへ傾斜した時期があったはずですから。
隔週刊の本誌はほとんど買いません(Webで十分と思うようになりました)が、増刊的扱いの「Number PLUS」は10数年前のものもきちんと保存しています。
ただし惜しむらくは、「PLUS」については野球モノが少ないことです。サッカーモノに関してはだいたい年に1.2冊は出るんですが、野球モノについてはあまり出ていません。野茂、清原、桑田が引退した時に「PLUS」が出ましたが、ほとんどが過去の本誌の記事の再録なので、手が伸びませんでした。
サッカーモノについては、欧州や南米各国の文化や歴史を絡めた良質な「PLUS」が出ているのに、なぜMLBモノで同じようなものができないのかと不思議に思ってしまいます。
野球雑誌の話が出てきて質問があります
日本野球をよく知るために、今は週刊ベースボールを毎週注文して見ています
週刊ベースボールの全体的な印象はインタビューや情報は充実して、データを基づいて書く記事は少ない感じです
同じ会社で出版した'プロ野球ディープファイル'は、データを基づいて作った本ですが、セイバーのステータスを活用しなくて惜しいです
ベースボールマガジン社の本を除いて、他の視線で日本野球を見るのに良い雑誌は何があるんですか
おすすめも良く、知っている雑誌の説明も歓迎です
長文の説明はもっと良いです ^^;
メールで教えても歓迎です
※ 日本語のレベルが低くて申し訳ありません
日本で、セイバーに基づいたNPBの記録を載せているのは、『ベースボールタイムズ』という雑誌です。以前は週刊で出していましたが、今は季刊になっています。ベースボールマガジン社の出版物は、原則としてセイバーのデータを載せていません。
http://www.baseballtimes.jp/
立ち読みで気になる記事だけチェックしています。
以前はMLBの特集が掲載された刊は必ず買っていたのですが、松井秀が取り上げられなくなるにつれ遠のいてしまいました。
おっしゃられるように切り口が他誌とは違っていました。松井秀の記事で言えば、彼が巨人入団時にバッティングの欠点を探るものがあり、比較対象にケン・グリフィーJrやバリー・ボンズを上げていたこともありました(MLB移籍10年前の時点で)。
numberは野球特集のときだけは買っています
その際の販売部数が少ないと野球の特集がなくなってしまうという
危機感から今回も買いましたが
私は、写真とかのレイアウトはいいのですが、記事は今一歩と感じました
理由は、記者の言葉でなく、選手の言葉にたよったものが多いように感じたからです
でも、川崎の記事は泣かされました
僕は今でも定期購読し続けている唯一の雑誌が Number ですね。
他の方の人生と Number との関わりを、興味深く読みました。
スポーツに対する興味ももちろんですが、
Number に関していえば僕は、文章としての完成度の高さ、物書きとしての関心が出会いでした。
いわゆるプロジェクトX風(?)の、スポーツ選手としてのいわば「スポーツ人生」といいますか、その凝縮されたドラマを過剰に演出するスポーツライティングのあり方に、
今ではあざといなあという思いもあります。
しかし若い時分の自分はそれが確実に好きでしたし、自分の人生に対する影響もあったと思いますし、
だからそうした特集を読むと、青臭いような照れくさいような気がして、読み進めることができません。
今の自分には、「野球の記録で話」すような記事のほうが、しっくりくるようです。
毎回興味深く拝読してます。
ようこそいらっしゃいました。Numberと比較されるとは恐れ入ります。これからもお付き合いください。