毎週末、高校野球のリーグ戦を観に行っている。長野、新潟、そして今は大阪だ。朝早くからの試合観戦はなかなか大変だが、得難い野球の勉強になっている。

強いチーム、弱いチームはどこが違うのか、どんなプレーが難しいのかがよく見えてくる。あるレベルでは、ゴロを捕ることより送球をしっかり捕球するほうが難しいこともわかった。

指導者の選手に対する姿勢、態度は高校によって大きく違っている。一投一打に細かく声をかけて指導する指導者もいれば、何も言わずに黙ってグラウンドを見ている指導者もいる。

ある試合では監督が所用で不在で、引退した部長が采配を執っていた。大きな声で選手を叱咤激励していたが「三振したって死にやしねえんだ、思い切って振れ!」に観客がどっと沸いたりした。こういう空気もなかなか楽しい。

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指導者と選手の関係性も気になった。
私学によくあるのは、自分のことを「俺」、選手を「お前」と呼ぶスタイルだ。
リーグ戦に参加している高校はリーグ戦の主旨をよく理解しているので、選手を罵倒したり、相手チームを攻撃することはないが、それでも
「もう一歩踏み出せと俺が言ったの聞いていないのか」「お前のスイングじゃ、振り遅れるんだよ」
これを聞くと、選手と指導者の垂直の関係が見えてくる。

公立では選手は呼び捨て、チームに呼びかけるときは「お前ら」または「君ら」、自分のことは「僕」と呼ぶチームが多い。これが普通なのだろう。

ただそんな中で、ある私学には、生徒に対しては「君たち」だが、自分のことを「先生は」という指導者がいる。
「先生はこの試合で、君たちにこういうことを学んでほしい」などと丁寧に説明している。
この指導者は甲子園常連校から東京六大学に進んでレギュラーだったという輝かしい経歴の持ち主で、就任後、チームも強くなったのだが、おかしな指導はしていない。

「先生はこう思う」と選手に話すこの指導者を見ていると、なぜか知らないがほっとする。心が温まるような心持がする。
そうなのだ、高校野球は「勝負事」でも「スポーツイベント」でもなく「教育」なのだ。監督、部長は指導者として、生徒たる選手に何事かを学び取らそうとしているのだ。
「先生」と自らを呼ぶ指導者が、投手を酷使したり、罵声を浴びせたりすることはないだろうと思う。

ちなみに私は甲子園優勝監督であれ、公立高校の監督であれ、話をするときは「〇〇先生」と呼んでいる。勝負師と話しているのではなく、教育者と話しているという意識があるからだ。

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