池江璃花子を批判する文章を書くときに大谷翔平を引き合いに出すのはよくない、みたいなコメントがあったが、多くの読者各位は理解しているように、昨日書いた記事は、池江を批判したのではなく、その置かれた立場が極めて危ういことを指摘したまで。

今のトップアスリートとは、単に運動能力が高い選手のことではない。自分の考えをしっかり持って、自分の意志で物事を選択する能力を持った運動選手のことだ。

日本の選手は「誰かの言うことを聞いて」練習をし、競技をすることが多い。「先生」「監督」の
指導に盲従し、自分で考え、自分の責任で行動することが少ない。それでも日本では通用する。それでオリンピックに出場することができれば、一生飯が食える。

しかし世界では、指導者に盲従するような選手は二流だ。自分で指導者を選び、どのようになりたいかを指導者と対等の立場で話し合ってプランを決め、競技を行うのが本当のアスリートだ。

その延長として、アスリートは「自分の意見」を持つべきだとされる。不特定多数のファンを持つアスリートは、政治的発言については、当然、慎重であるべきだが、いうべき時には言わなければならない。重要なのはその意見が「自分のもの」であることだ。大坂なおみの人種差別反対の発言は、それが誰かの指図ではなく、自分自身の判断、自分だけの責任で発せられたものであることが重要なのだ。「誰かに利用されるのではなく、自分の意志で判断し、ものをいう」ことは、アスリートにとって最も重要だ。

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大谷翔平は高校時代から「曼荼羅チャート」などで「自分が何になりたいか」を考え、そのために練習計画を立てて、努力をしてきた。MLBに移籍して成功する選手はすべてそうだが、アメリカのトップアスリートと同様に「自分の意志」で自らを成長させてきた。それが重要なのだ。
「二刀流」は栗山英樹監督の示唆によって始めたが、今は自分の意志としてこれを選択している。大谷翔平は「自分の意見」を持っている。

池江璃花子ももちろん、自分の意志で競技生活を続けてきただろうが、なべおさみの怪しげな宗教もどきに影響されるなど、自我がしっかりしていないのではないかと思わせる節が多々ある。
昨年のオリンピック1年前のイメージビデオへの出演は、極めて異常だった。その時点で、彼女はオリンピックの出場権を与えられたわけでもない。それどころか療養中であり、アスリートでさえなかった。であるのに、彼女を「東京五輪のシンボル」に祭り上げたい電通の思惑に載ってしまった。

「東京五輪」は、今やスポーツの範疇ではない。完全な「政治案件」である。国、自治体が莫大な税金を投じ、企業がスポンサーフィーを拠出して挙行しようとしている「公共事業」だ。その成否は、政権の存続にかかわっている。

今回の池江の「快挙」を額面通り受け取ることができないのは、背景に「なんとしても五輪をしないと政権が持たない」という政権の焦りを感じるからだ。「池江が出て活躍すれば、五輪を支持する人が増えるだろう」という思惑を感じるからだ。
彼女は自分の意志で出場したかもしれないが、それを利用したがっている人々がいるのは間違いないところだ。

今後、東京五輪がどんな風に転がっていくのか、全く予断を許さないが、スポーツが「人々が安全に生活できる環境」が担保されることが前提であることを考えれば、アスリートは、軽率に旗振り役になったりすべきではないだろう。



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