例外はあるが、背番号「11」以降「21」くらいまでは、NPBでは主として投手の番号とされた。これはNPBだけの習慣ではある。

特に近年はこれらの番号をつける野手は非常に少ない。昔の選手が多くなる。

No11


「11」の最多安打は、1950年、ラビットボール時代に松竹「水爆打線」の中軸を打った大岡虎雄。1949年にプロ入りしたが既に37歳だった。プロはわずか3年の在籍ながら、セ・リーグ初代チャンピオンに貢献した。



2位以下にずらっと並ぶのがジョン・シピン、大洋時代は「ライオン丸」と言われひげを蓄え長髪をなびかせてプレーしていたが、巨人に入ってひげと髪を切って男前になった。成功した外国人選手の一人だ。



河野旭輝は主として阪急で活躍した名遊撃手。リードオフマンで1956年には当時のNPB記録である85盗塁をマークした。

大島康徳は中日では「5」が長かったが、日本ハムに移籍して「11」を付けた。このチームで2000本安打を記録した。



打者の内に含むことができる選手ではNPB時代の大谷翔平が「11」をつけていた。投手としての背番号でもあったかもしれないが。

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1971~73年梶本隆夫、全登板成績

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