最近のNPBには、外見だけを見れば外国人選手なのかと思うような日本人選手が増えている。オコエ瑠偉が代表のようになっているが、オリックスの宗佑磨や日本ハムの万波中正などもそうだ。
彼らは片方の親が黒人だが、ダルビッシュ有のように片親がイラン人だったり、ソフトバンクの砂川リチャードや西武のタイシンガー ブランドン 大河のように、片親が白人のケースもある。
あまり知られていないが、山﨑康晃はフィリピン人とのハーフだ。大相撲の高安も同じだ。二重国籍の選手も多い。
王貞治の昔から外国人の血を引く選手はたくさんいた。また在日朝鮮人、中国人の選手もたくさんいた。それに加えて「外国人選手」である。プロ野球はずいぶん前から「国際的」だったのだ。
なぜ国際的だったのか?、いろんな事情があるが、端的に言えば「日本社会が人種差別をしていたから」だといってよい。
在日の人々や外国の血を引く人は、教育、就職差別を受けてきた。それを跳ね返して成功するためには「実力の業界」にいくしかなかった。在日の人々がスポーツ界、芸能界に多いのはそうした理由だ。
同じハーフでも、白人の血を引く人は容貌が西洋風になるので、もてはやされたりもした。日本の商社マンは人種差別時代の南アフリカで「名誉白人」の称号を得ていた。昭和の時代にはそれを自慢する人もいたものだ。黒人やアジア系は差別し、白人にはへりくだる。日本はそういう「人種ヒエラルキー」を受け入れてきたのだ。
昭和の野球場では「おーい、クロンボー」とか「朝鮮へ帰れ!」みたいなヤジはごく普通だった。みんながそう言っていたわけではなく、その当時でも少数だったし、下品ではあったが容認されてきた。
その歴史を考えれば、今、プロ野球界にたくさんいるハーフ(この言葉にも問題があるかもしれない)の人々について評するときに、いろいろ考えなければならないだろう。
オコエは高校生の時から遠目で見ても全然違っていた。外野でボールを追いかける肢体のしなやかさ、跳躍力は素晴らしかった。日本人にはないものを持っていると思ったが、彼は日本人であり「日本人離れしている」は、差別になるかもしれない。

しかし選手としての特徴を論じるうえで、遺伝的な差異、人種的な影響について触れないわけにもいかない。それを「差別」にならないようにするには神経を使う。
基本的には、自分が人種差別を否定し、人権を尊重しているという自覚を持っていないといけないということになろう。
宗佑磨の活躍について何かに書いた時に「オコエにも頑張ってほしいですね」というコメントをもらった。私はこれに引っかかった。なぜ宗とオコエを「同類」にするのか。同じ黒人の血を引く日本人だからかもしれないが、そのグルーピングをすることに危ういものを感じたのだ。
人種差別の問題は日々動いているし、微妙な問題を毎日のように生んだいる。大坂なおみの問題にも関連しているのは間違いない。
「これが正しい」というど真ん中はない。我々はこの問題がセンシティブであることを十分に認識して発言すべきなのだろう。
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あまり知られていないが、山﨑康晃はフィリピン人とのハーフだ。大相撲の高安も同じだ。二重国籍の選手も多い。
王貞治の昔から外国人の血を引く選手はたくさんいた。また在日朝鮮人、中国人の選手もたくさんいた。それに加えて「外国人選手」である。プロ野球はずいぶん前から「国際的」だったのだ。
なぜ国際的だったのか?、いろんな事情があるが、端的に言えば「日本社会が人種差別をしていたから」だといってよい。
在日の人々や外国の血を引く人は、教育、就職差別を受けてきた。それを跳ね返して成功するためには「実力の業界」にいくしかなかった。在日の人々がスポーツ界、芸能界に多いのはそうした理由だ。
同じハーフでも、白人の血を引く人は容貌が西洋風になるので、もてはやされたりもした。日本の商社マンは人種差別時代の南アフリカで「名誉白人」の称号を得ていた。昭和の時代にはそれを自慢する人もいたものだ。黒人やアジア系は差別し、白人にはへりくだる。日本はそういう「人種ヒエラルキー」を受け入れてきたのだ。
昭和の野球場では「おーい、クロンボー」とか「朝鮮へ帰れ!」みたいなヤジはごく普通だった。みんながそう言っていたわけではなく、その当時でも少数だったし、下品ではあったが容認されてきた。
その歴史を考えれば、今、プロ野球界にたくさんいるハーフ(この言葉にも問題があるかもしれない)の人々について評するときに、いろいろ考えなければならないだろう。
オコエは高校生の時から遠目で見ても全然違っていた。外野でボールを追いかける肢体のしなやかさ、跳躍力は素晴らしかった。日本人にはないものを持っていると思ったが、彼は日本人であり「日本人離れしている」は、差別になるかもしれない。

しかし選手としての特徴を論じるうえで、遺伝的な差異、人種的な影響について触れないわけにもいかない。それを「差別」にならないようにするには神経を使う。
基本的には、自分が人種差別を否定し、人権を尊重しているという自覚を持っていないといけないということになろう。
宗佑磨の活躍について何かに書いた時に「オコエにも頑張ってほしいですね」というコメントをもらった。私はこれに引っかかった。なぜ宗とオコエを「同類」にするのか。同じ黒人の血を引く日本人だからかもしれないが、そのグルーピングをすることに危ういものを感じたのだ。
人種差別の問題は日々動いているし、微妙な問題を毎日のように生んだいる。大坂なおみの問題にも関連しているのは間違いない。
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コメント
コメント一覧
大坂なおみの一件などを見ていても、少数派が求める「平等」と多数派が認識する「平等」に大きな乖離があるということを意識しながら行動しようと自戒したいと思います。
「無意識の差別」は平均的日本人云々ではなく人類共通の特性ですよ
生物学的な問題と言っていい
だからこそ「意識して差別しないようにする」ことを世界共通の認識として取り組むことが大切であるとともに、「意識的に差別する」事が無くなるべきなのは言うまでもないでしょう
「狭尾」というのは「広尾」を茶化して付けたHNだと思いますが、これも無差別の差別ではないでしょうか?
そもそも山﨑康晃の件もくだらない言いがかりだと思いますが、こんな卑劣なHNを平気で名乗る無神経人が偉そうに差別を語るとは笑止千万。
あなたに関しては「生物学的な問題」ではなく匿名なら平気でひどいことが言える「あなた自身の問題」だと思いますが。
差別の問題をもてあそんではいけない。
謝罪と訂正を求めます。
このエントリー対して、そんな一般論を語っても仕方ないでしょう。
あなたような意見は、何事も意見を相対化・一般化して、日本社会という個別の事例に対する問題意識を薄めるという、よくある無意識の差別主義者のもののように感じます。
広尾さん
全く違いますよ
「無差別の差別」なんて言わないのは勿論のこと「無意識の差別」とも言わないと考えます。
単に「広尾」を茶化しただけですから
これが意識するしない関わらず差別になるなら個人間での茶化し合いは全て差別になります。
あくまで「わたしとあなた自身の問題」です。
「こんなHN名乗りやがってお前いい加減にせいや!」なら分かりますが、私の投稿を「差別」と断罪し謝罪と修正を求めるのは違います。
個人の感情を「差別」と決めつける行為こそ差別をもてあそんでいることに他なりません。
やまもとさん
なぜ相対化したことや、一般論を語っても仕方ないのでしょうか?
そもそもあなたの「日本人は無意識の差別」云々もあなたは「平均的」という言葉をお使いですが、これは日本人を一般化していることに他なりません。またあなたの「日本人は」というのは他国と相対比較した上での日本人の特性を述べたことだと思います。
「日本社会の個別事例をうすめるから、よくある無意識の差別主義者」というのは私の主張を捻じ曲げています。
私はあなたが「日本社会という個別の問題」として提示した話を「いや人類共通の問題ですよ」と意見を述べているのです。
それが差別主義者であるとするのはおかしいですよね。
議論するに値しないお方でしたね。言ってることもただの揚げ足取りで何の意味もありませんし。
匿名の人間が、謂われなく相手が不快になるような言葉を投げつけることが、差別的でないというのなら、差別とはいったい何なのでしょう。
あなたはおそらく初めてコメントしたのではなく、これまでも私の本名やそれをもじったHNで投稿していた人か、あるいはそういうコメントに刺激されてコメントしたのだと思いますが、私がどんな感情を抱いているかご存じですか?そこに正当性はあるのでしょうか?
私が権力者で、それを風刺することに意義があるとでもおっしゃるわけで?
相手を不快にさせることを目的に、物陰から攻撃するような行動が、差別の始まりだと思いますが、いかがでしょうか?
小さな個人の感情が、大きな差別につながります。これは良心の問題です。
あなたの差別論が空疎で、頭の中で考えただけの浅薄な内容になっているのは「誰しもが差別をする側に立つ可能性がある」という自明の理をわきまえていないからでしょう。
あなたのような認識で、「差別論」を声高に口にするのは、ちょっと恥ずかしいと思いますが?
やまもとさん
HN以外はおかしな事を書いてますかね?
あなたのおっしゃった相対化や一般論に関しても真面目に反論しています。
それを揚げ足取りと捉えるのは個人の自由ですが。
いかがですか?