東京新聞
東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長は5日の記者会見で、札幌市が開催を目指す2030年冬季五輪について「私としてはなんとか実現できればと思っている」と強い意欲を示した。夏季五輪の招致についても「状況が許せば、近い将来、またこの日本で大会を開催できたらいいなと思っている」との希望を語った。
「えー!冗談じゃない」と思った人は多いのではないか。
スポーツの祭典に異論があるわけではない。昨日のパラリンピックのマラソンでも、44歳の道下美里の金メダルは素晴らしいと思った。伴走者のサポートも感動的だった。各競技でトップアスリートが素晴らしいパフォーマンスを発揮することを否定する理由は一切ないだろう。
しかしそれらの競技は、きれいなパッケージにいれたり、もったいぶった飾りをつける必要は一切ない。競技そのもの、そしてアスリートそのものが素晴らしいのであって、それ以外の要素はどうでもいいのだ。
であるのに、今のオリンピックは「オリンピックをダシにして、いろいろ金儲けをする」連中がたかりまくって、訳の分からないイベントになっているのだ。
とりわけ、今回の東京オリパラは「競技、アスリート」の後ろに何かわからない「変なもの」が控えていて、それが一部の人にとってはものすごく大事であることが発覚した。
本来スポーツイベントを開催するうえでの大前提は「イベントを開催してもいいくらい社会が安全であること」だと思う。それがあってこそアスリートも安心して競技に打ち込めると思うが、今回の東京オリパラはその前提が崩壊しているのに強行された。その理由は全くわからないが、一部の人間にとっては「国民を危険にさらしてでもやる」必要があったのだろう。
菅首相は「やらない選択が一番簡単だったが、そこでやることに意義がある」と言った。丸川珠代五輪相はパラの学校連携観戦について「子どもたちの心にレガシーを残せた」と言った。
政権側のこの言葉に()で捕捉をするとすれば
「やらない選択が一番簡単だったが、(国民に生命の危機が迫っているのに敢えて)やることに意義がある」
「(感染拡大が広がっている中でパラを観戦させることで)子どもたちの心にレガシーを残せた」ということになる。狂気の沙汰だと言っても良い。
率直に言って、五輪を中止するとか延期するとかいう選択をしていれば、菅政権がここまで追いつめられることはなかったはずだ。また東京を中心とした感染爆発も起こらなかったはずだ。
経済効果も当初の算盤からは程遠かったはずだ。国民にぼろくそに言われ、金儲けもできなかったのに、五輪を強行した。このことは、ずっと言われ続けるはずだ。首相や五輪相など幹部にとっては「あのとき、あんな変なことを言った」となって、キャリアに深刻な汚点となったはずだ。
であるのに菅政権はなぜここまで無理をして強行したのか?私は菅義偉は恐喝されていたのだと思う。おそらくは安倍晋三以下の極右勢力に「五輪をなにがなんでもやること」を条件に首相の座をめぐんでもらったのだろう。
今回の五輪は、スポーツとは何の関係もない「気持ちの悪い意志」によってゆがんだ形になった。はしなくも五輪の背後には、スポーツとは全く関係のない「下心」「欲得」などがわだかまっていることが明らかになったことで、オリパライメージは大きく変わってしまった。
スポーツの国際大会を開いたり、参加したりすることに異論はないが、こんなおかしな連中が、裏で絵を描いているのなら、オリンピックは二度と日本で開いてほしくない。そう思っている国民は結構いるのではないか。

1971年足立光宏、全登板成績【復活・4年ぶりの2ケタ勝利】
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しかしそれらの競技は、きれいなパッケージにいれたり、もったいぶった飾りをつける必要は一切ない。競技そのもの、そしてアスリートそのものが素晴らしいのであって、それ以外の要素はどうでもいいのだ。
であるのに、今のオリンピックは「オリンピックをダシにして、いろいろ金儲けをする」連中がたかりまくって、訳の分からないイベントになっているのだ。
とりわけ、今回の東京オリパラは「競技、アスリート」の後ろに何かわからない「変なもの」が控えていて、それが一部の人にとってはものすごく大事であることが発覚した。
本来スポーツイベントを開催するうえでの大前提は「イベントを開催してもいいくらい社会が安全であること」だと思う。それがあってこそアスリートも安心して競技に打ち込めると思うが、今回の東京オリパラはその前提が崩壊しているのに強行された。その理由は全くわからないが、一部の人間にとっては「国民を危険にさらしてでもやる」必要があったのだろう。
菅首相は「やらない選択が一番簡単だったが、そこでやることに意義がある」と言った。丸川珠代五輪相はパラの学校連携観戦について「子どもたちの心にレガシーを残せた」と言った。
政権側のこの言葉に()で捕捉をするとすれば
「やらない選択が一番簡単だったが、(国民に生命の危機が迫っているのに敢えて)やることに意義がある」
「(感染拡大が広がっている中でパラを観戦させることで)子どもたちの心にレガシーを残せた」ということになる。狂気の沙汰だと言っても良い。
率直に言って、五輪を中止するとか延期するとかいう選択をしていれば、菅政権がここまで追いつめられることはなかったはずだ。また東京を中心とした感染爆発も起こらなかったはずだ。
経済効果も当初の算盤からは程遠かったはずだ。国民にぼろくそに言われ、金儲けもできなかったのに、五輪を強行した。このことは、ずっと言われ続けるはずだ。首相や五輪相など幹部にとっては「あのとき、あんな変なことを言った」となって、キャリアに深刻な汚点となったはずだ。
であるのに菅政権はなぜここまで無理をして強行したのか?私は菅義偉は恐喝されていたのだと思う。おそらくは安倍晋三以下の極右勢力に「五輪をなにがなんでもやること」を条件に首相の座をめぐんでもらったのだろう。
今回の五輪は、スポーツとは何の関係もない「気持ちの悪い意志」によってゆがんだ形になった。はしなくも五輪の背後には、スポーツとは全く関係のない「下心」「欲得」などがわだかまっていることが明らかになったことで、オリパライメージは大きく変わってしまった。
スポーツの国際大会を開いたり、参加したりすることに異論はないが、こんなおかしな連中が、裏で絵を描いているのなら、オリンピックは二度と日本で開いてほしくない。そう思っている国民は結構いるのではないか。

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コメント
コメント一覧
>五輪を中止するとか延期するとかいう選択をしていれば、菅政権がここまで追いつめられることはなかったはずだ。また東京を中心とした感染爆発も起こらなかったはずだ。
このあたり、五輪を開催したことが感染爆発の原因なのか、そうではないのかは、感情論でなくちゃんと科学的なファクトと理論と分析での結果を示して欲しいと願っておりますり。
本当にまともな政権であれば「五輪による感染拡大の有無」を検証する調査を予め計画していたと思います。イギリスが、EURO2000による感染拡大の調査を社会実験として実施したように。でもそれを全く計画していなかった点からしても、今回の五輪開催はやる前から「成功」ということが決まっていたのだと思います。GoToで「エビデンスがない」と言ったのと同じでしょう。一般の人を馬鹿にしてるんですよね。
私は観客を入れるかどうかは大きな争点ではなかったと思います。選手、関係者はワクチン接種が大部分完了していたわけですから、大きな感染拡大は起こるはずがなかった。そして観客席由来の感染拡大は、日本の国ではCOCOAなどの仕組みがほとんど機能していないので、わかるはずがなかったわけです。
つまり観客を入れても入れなくても、五輪そのものが感染の直接的な原因になったかどうかは、わからないような状態だったわけです。無能なのか、わざとそうしたのかはわかりませんが。
無観客にしたのは、反対している国民に「ここまで譲歩した」と見せかけるためのパフォーマンスでしょう。
何らかの利益を得る人、そしてコロナの影響をあまり受けない人には、良い五輪だったのでしょう。
でも大部分の無関係な人は、五輪の強行によって政府から「アクセルとブレーキを同時に踏むようなメッセージ」を受け取って大変困惑したと思います。
ありがとうございます。
無観客か有観客かは大きな争点でもなく、単なる「やってる感」だったのならば、これほどの素晴らしかった各スポーツのパフォーマンスを、こんなにまで財政的負荷をしょって主催したのに、生で多くの人が見る機会を失ったということが残念でなりません。
素晴らしかったですか?私はアスリートが気の毒で仕方ありません。
この状況での競技を私は見たいとは思いませんでした。野球は行くことができれば使命感で見たでしょうが。
そもそも、多くの人にとって五輪は、人生のほんの一部にすぎません。見なくたって別に構わないものでしょう。それをあたかも「見なければ一生後悔する」みたいな盛り上げ方をするのもうんざりです。
甲子園なんかも同様ですが。
そもそも五輪は日本のような社会構造の国では公共事業化してしまうので、やるべきではないでしょう。