Tokokeizai-SB2


東洋経済オンラインで「小学生の盗塁」問題の続編を書いている。また大きな反響である。
小学校の野球人口の減少、とりわけ「野球ごっこ」の絶滅が「小学生の盗塁問題」の背景にあることをしてきた。
ヤフトピやTwitterでは、多くのコメントも貰っているが、結構多いのが、「個人的な体験、想い出の話」をしてこの問題の答えを出しているつもりになっている人だ。

「盗塁されるのが苦痛と言うが自分はそうではなかった」
「負けて悔しかったら、それを克服してこそ意義がある」
「自分は盗塁が得意だったからなくなるのには反対だ」
「盗塁は、野球の一芸だ。これを奪うのは許しがたい」


しっかり読まず、適当に流し読みをしている人が多いのは仕方ないが、この問題の本質を理解していないのが非常に残念だ。
要するに、今は、野球を始めたばかりの低学年までもが試合に出ている時代なのだ。そんな子供が高学年がいるチームと試合をすれば、盗塁され放題になって、ボロボロの試合になる。これは「仕組み」の問題であって「根性」や「努力」で克服できる問題ではない。

「悔しかったら走られないようにしろ」というのは、結果責任を子供に押し付ける無責任な考えだ。
「盗塁」は、野球の技術だが、まともにプレーができる者同士の試合でこそ成立する技術であって、極端な体格差、体力差がある相手と試合をしている現実を考えれば、何らかの解決策が必要なのは自明の話だ。

「盗塁を廃止するのは反対」と言う意見は、小学野球の現状についての部分を読み飛ばしている。小学校でもレベルが高いチームが出る試合、そして中学以降の試合では盗塁はもちろんあってもいいが、投げる打つ走るのレベルが極端に低い低学年の子供が混じる試合では「盗塁は規制しよう」といっているのだ。低学年と高学年のギャップは「根性」や「技術」では埋められない。そして最初にこんな体験をすると子供は「野球は嫌だ」と思ってしまう。
大人の感覚でこの話を語っても意味がない。

IMG_7027


「いや、俺はそういう状況を克服した」みたいな「思い出話」は、この問題の解決には全く役に立たない。「野球」と言う競技をする子どもが世代のスケールで減少している中で必要なのは「精神論」ではなく、具体的な方策だ。

残念なのは当事者である監督、保護者の中にも
「盗塁されて悔しいなら、されないように努力しろ」と言って済ませる人がたくさんいることだ。
太平洋戦争で
「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」
と言って、何ら事態の解決に動かなかった当時の為政者と同じだ。

問題解決へ向けて動く気持ちがない人、能力がない人、何が問題なのか理解する知能がない人は、この手の浅薄な精神論に走りがちなのだ。

重要なことは、現実をしっかり見て理解し「どうすればいいか」を考えることだ。
コメントをする人の多くは「そこまで関心はない、ただ思ったことを言っただけ」ということだろうが、そうした無責任なコメントが事態の解決に小さくない影響を与える。

こうした記事を書くのは「問題意識を喚起」したいからだ。他人事であっても、誠実なコメントをしてほしいと思う。


1988年伊東昭光、全登板成績【オールリリーフで最多勝タイトル】

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!