日本シリーズからの帰りの電車、聞くともなしに聞いていると「でも、奥川君もう1試合投げるんでしょ」「宮城君もまた投げるかも」みたいな声が聞こえてくる。
若い女性が多いが、おじさんでもそういう風に、選手を君付けして呼ぶファンがいる。どうってことない話だが、私は気持ちが悪い気がしている。
解説するならば、選手と一面識もない一ファンが、あたかも友人や後輩のように、勝手に選手と距離感を詰めているのだと思う。「馴れ馴れしい」「厚かましい」という感じがしてくる。

プロアスリートは「ファンあってのもの」ではある。それは間違いないが、選手とファンの間にははっきりした一線がある。アスリートは競技力を高めるために努力をして、その結果によって報酬を得て、ファンの称賛を浴びる。ときにはファンサービスもするが、それはアスリートの「主たる仕事」ではない。ファンに対して、親切かつ紳士的に接するのはアスリートとして当然だが、それはマナーの類である。ファンとの交流のために練習や静養の時間を大きく割くのは本末転倒だ。

ファンも選手との距離感をよく考えるべきだ。自分にだけサービスをしてほしいとか、特別の関係になりたいとか思うのは、ファンのエゴであって、選手のためにはならない。私はタイムリーを打った野手が守備に就くときにファンが会釈を強要するのはいやらしいなと思っているが、ファンクラブが盛んになってからプロ野球はファンとの距離が近づきすぎているような気がする。
選手を「〇〇君」と呼ぶファンは、客観性を失っている。「私のスワローズ」「友人の宮城大弥」などという妄想を膨らましているのだと思う。かまわないと言えば構わないが、私とは立場を異にする。
私自身は選手や元選手と話をすることがあるが、当然〇〇選手、〇〇さんと呼ぶ。今や親子以上に年が離れているが、君付けするようなことはしない。これも「選手に対する部外者の敬意」からだ。メディアの中には若い選手を「君づけ」したり「〇〇ちゃん」とちゃん付けしたりする人もいるが、そういう馴れ馴れしさでは、ろくな記事が書けないだろうと思っている。
逆説めくが選手に敬意を払い、適切な距離感を保つのなら、選手は君付けするのではなく、呼び捨てにすべきだと思う。どんな大選手でも、自分とは無関係の存在であり、見ず知らずの関係なのだから、奥川、宮城と呼び捨てにしてこそ、すっきりとしたファンだと思う。
異論は当然あるだろうが、書いておく。
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プロアスリートは「ファンあってのもの」ではある。それは間違いないが、選手とファンの間にははっきりした一線がある。アスリートは競技力を高めるために努力をして、その結果によって報酬を得て、ファンの称賛を浴びる。ときにはファンサービスもするが、それはアスリートの「主たる仕事」ではない。ファンに対して、親切かつ紳士的に接するのはアスリートとして当然だが、それはマナーの類である。ファンとの交流のために練習や静養の時間を大きく割くのは本末転倒だ。

ファンも選手との距離感をよく考えるべきだ。自分にだけサービスをしてほしいとか、特別の関係になりたいとか思うのは、ファンのエゴであって、選手のためにはならない。私はタイムリーを打った野手が守備に就くときにファンが会釈を強要するのはいやらしいなと思っているが、ファンクラブが盛んになってからプロ野球はファンとの距離が近づきすぎているような気がする。
選手を「〇〇君」と呼ぶファンは、客観性を失っている。「私のスワローズ」「友人の宮城大弥」などという妄想を膨らましているのだと思う。かまわないと言えば構わないが、私とは立場を異にする。
私自身は選手や元選手と話をすることがあるが、当然〇〇選手、〇〇さんと呼ぶ。今や親子以上に年が離れているが、君付けするようなことはしない。これも「選手に対する部外者の敬意」からだ。メディアの中には若い選手を「君づけ」したり「〇〇ちゃん」とちゃん付けしたりする人もいるが、そういう馴れ馴れしさでは、ろくな記事が書けないだろうと思っている。
逆説めくが選手に敬意を払い、適切な距離感を保つのなら、選手は君付けするのではなく、呼び捨てにすべきだと思う。どんな大選手でも、自分とは無関係の存在であり、見ず知らずの関係なのだから、奥川、宮城と呼び捨てにしてこそ、すっきりとしたファンだと思う。
異論は当然あるだろうが、書いておく。
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コメント
コメント一覧
有名人が近しい存在になるというのは感情移入もさせやすいが、金銭感覚が好例ですが、いわゆる庶民的な感覚やモラルまで押し付けられるので、有名人にとっては生きづらいでしょうね。
ダルビッシュだってTwitterで一般人のつぶやきに反応することがありますもんね。
もし選手や球団が選手の敬意を優先させたいならすぐにでもできることがあるでしょうが、そうさせないのはそちらに旨味があると無意識的にも考えているからではないかと思います。
鋭いですね。特に球団が「選手とファンが近い」と思わせたがっている。
スターの神秘性というのがなくなっていると思います。
「会いに行けるアイドル」とか。
今はアスリートでも他職業でも、ちょっと活躍するとすぐに「美人すぎる〇〇」となる。(私はこれが好きではない)「美人」という表現も昔はそんなになかったと思います。
野球選手に君付けとは、ジャニーズみたいですが、野球選手もそういう感覚になったのかもしれません。
ただメディアの人は「〜選手」ときちんとして欲しいですね。れっきとした一人前のプロに対して失礼です。
ダルビッシュがSNS(特にYouTube)で野球選手を取り上げる際、数年前から「○○選手」と呼ぶようになって、妙に「選手」であることを強調するなと思っていました。彼の立場であれば、普段呼ぶように「先輩」「さん」「君」あるいは呼び捨てでも問題ないはずですが、情報の受け手に「選手」と呼ぶように誘導しているような印象を持ちました。
野球以外でも東京五輪の時もテレビで本人に話しかける以外の場でも呼び捨てではなく「○○選手」と呼ぶのが主流になっていて、違和感を感じました。
報道する際は「○○選手」と呼ばず呼び捨てが客観的な報じ方であり、逆説的に選手に敬意を示していると思っています。
放送コードでは、君、さんではなく「選手」になっています。それに準拠しただけでしょう。
いつ頃からなんでしょうか、私は栗山監督がこう呼ぶことが多かった印象がありますが原監督なんかもインタビューで名字でなく名前呼びを使うことがありますよね。あれはどうなんでしょう。