最近、あれほどの悲しい映像は見たことがない。愛嬢を失った神田正輝、松田聖子の両親の記者会見だ。
昨日、私は転勤で12月から東京で働いている娘とランチをしたが、目の前で食事をしている彼女が突然命を絶って、小さな箱の中に納まって、それを私が胸の前に抱くことを考えたら、耐えられない、この先のことが何も考えられないという思いで胸が締め付けられた。

死んだ彼女と両親には、一般人とは大きく違った起伏だらけの人生があったが、それでも父と母と娘という関係性だけは普通の人と何も変わらない。そして鍾愛の娘を失った悲しみも、世の人々と何も変わるところはない。

本当であれば、遠の昔に分かれたこの父母は、それぞれのプライベートに戻って悲しみを抱え込みたかっただろうが、公人、有名人という責務から、一生で一番つらい、悲しい記者会見を開いたのだ。

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そのこと自体が異例であり、多くの日本人は、これがいかに特別のことか、悲しいことであるかをあの映像で瞬時に理解したことだろう。
いわゆる「惻隠の情」だ。他人事ではなく、まるでその悲しみが自分のものであるかの如く感じ取り、心からの同情の念を抱いたはずだ。

この悲劇に我々が付け加えることは何もない。二人の親は今後もバラバラの人生を歩むのだろうが、その人生に少しでも陽だまりの時があることを願わずにはおられない。

記者会見で、報道関係者が「今のお気持ちは」と声をかけたことが報じられている。本当の話かと思うが、そのことに今の日本のメディアの根深い問題がわだかまっている。

今のメディア記者は物事の「本質」を伝えようとするのではなく、読者が気に入りそうな「言葉」「表情」「映像」を切り取って流したいと思っている。
多くの人々は、この記者会見には何も付け足す必要性を感じていないが、メディアの中には「もっと悲しみを強調したい」「お涙頂戴を振りまきたい」と思う連中がいるのだ。そしてそのために、悲しみに暮れる両親に「今のお気持ちは」と聞いたのだ。

肝心なこと、人々に伝えるべきことはろくに伝えないが、やすっぽいドラマだけは捏造したがる。今の新聞、テレビの最も卑しい部分が表れたという意味で、残念過ぎる記者会見ではあった。
有吉弘行は「『どういう気持ちですか?』って、お前らが自分の子供亡くしたのと同じ気持ちだろ」と言ったが、この言葉に尽きる。

今の新聞、テレビが「人が普通の感じるであろう喜怒哀楽の情」がわからなくなっているのであれば、もう終わっていると言えよう。



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