メディアに記事を書くと、「Wikipedia丸写し」「Wiki見て書きやがって」などというコメントが来る。くだらない人だなあとは思う。しかし、当世、どんな分野の物書きでもWikipediaとまったく無縁では生きていけないだろう。

Wikipediaは、日本語版も英語版も今や、どんな紙の百科事典より膨大な情報が掲載されている。しかも日々アップデートされている。Wikiを全く見ずに何かを調べることは今や不可能だし、Wikiは一切見ないという人は、情報弱者だと言ってもよいだろう。

しかしWikiの引き写しはいろんな意味で問題がある。Wikipediaは「独自研究」を固く戒めている。自分で調べたこと、自分の意見などをそのまま掲載するのではなく、文献や記事、ネット記事など他者の研究、調査に基づいて書くようになっている。客観性を重視しているのだが、しかし引用した資料が間違っていることがしばしばある。
細かい話だが、南海のカールトン半田の項目には、1960年オールスター戦でこの選手が板東英二からランニングホームランを打ったことが書かれているが、走者は「田宮謙次郎」になっている。しかしこの試合、途中出場した半田の打順は9番、田宮は1番だから、そんなはずはない。実際は野村克也で、野村は半田に追いかけられるように必死で塁を回り、球場に笑い声が起こったとされる。私は「南海ホークス50年史」でこのエピソードを読んで、その試合のボックスを確認した。

こんな感じでWikipediaは、間違った元ネタからの情報が掲載されていることも多い。
また「独自研究」としか思えないものも多々ある。
「ミスタータイガース」という項目では、このことばの定義が紹介され、藤村冨美男、村山実、掛布雅之、田淵幸一が紹介されているが、この根拠は薄弱で、書いた人間の主観が入っているように思える。
野球関係でいえば「JFK(阪神タイガース)」も独自研究のにおいがする。

要するにWikipediaは調べ物のベースにはなるが、そのまま引き写すのは難しいということだ。例えばあるエピソードを引用するにしても、他の資料に当たったり、本を購入したりしてそれを補足したり、微修正する必要がある。結構大変なのだが、そういうことをしていても「Wiki丸写し」と言われるのは、非常に残念だ。

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野球人にインタビューすると「Wikipediaのまんま」の話をする人が結構いて、これも困る。おそらくWikipediaの自分の項目を見て、よくまとまっているので、その内容をそのまま話すようになったのだろうが、他の話を引き出すのが大変である。

私が書いたものがWikipediaに反映されることもしばしばある。最近、Number Webに馬場正平について書いたが、ここで馬場の開頭手術の日時をはっきり書いた。Wikipediaはじめ世間の馬場の情報には、馬場正平の自伝に基づいた日時が書かれているが、これは馬場の勘違いで、東京大学に残る手術記録は、その1年前なのだ。馬場の本は6年前に出版したが、以後もなかなか改められなかった。しかし今回のNumber Webの記事をWikipediaのライターが見て修正した。ただし馬場正平の高校野球や二軍での記録は、まだ間違ったままだ。

Wikipediaには「広尾晃」という項目さえある。おそらくブログを丹念に見た暇な人が挙げたのだろう。いい気持ちはしないが、間違っていないのでそのままにしてある。ことさら削除依頼をしてWikipediaの編集の人とかかわりができるのも望まない。従兄の手束仁の項目は、私の項目から派生したのではないかと思うが、本人は知らないと思う。

なかには自分でWikipediaに上げたのではないかと思えるものもある。その項目だけ、大したことない業績や自分のテレビ、ラジオの出演情報などがちまちまと挙げられていて、これはこれでみっともない。

今の世の中、Wikipediaを無視して文章が書けるのは、純文学の人くらいではないか。ただ目を通したとしても、そのまま引き写すのはライターの沽券にかかわるという気持ちも持ち合わせている。大事なのは「距離感」ではないか。


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