私が初めて宮崎に行ったのは今から30年以上前のことだ。広告代理店の仕事で「宮崎シーガイア」関連の仕事に携わったのだ。
バブルの終わりかけの時代だったが、シーガイアは「総合保養地域整備法(リゾート法)」第一号の施設であり、一ッ葉海岸沿いの長大な土地に次々と建物が建っていた。
私は工事現場の一室で広告関連の企画をし、事業者と毎日打ち合わせをしていた。事業者は宮崎県、宮崎市、JTB、銀行筋、航空会社などから出向した寄せ集まりであり、余りまとまりはなかった。
事業の旗振り役は地元のフェニックスグループであり、その創業者の佐藤棟良が事業の顔だった。この人はダンロップフェニックストーナメントの大スポンサーでもあり、ジャンボ尾崎はこの人の前では大きな体を折り曲げて膝まづいて話を聞いていた。
私は2回ほど話を聞いたが、立派な大人が佐藤棟良に会うと涙ぐんだりしていた。カリスマとはこういう人のことを言うのだろう。
宮崎のテレビは、毎日のエンディングで、佐藤棟良が歌う歌を流していた。宮崎日日新聞は連日佐藤を讃えていた。
この人は大阪での新聞用紙の会社旭洋を設立して財を成したが、読売新聞が大阪に進出するうえで大いに功績があった。そういう関係で読売新聞と極めて近かった。また福田赳夫のパトロンでもあった。
とにかく宮崎は景気が良くて、町が生き生きしていた。メイン施設である「オーシャンドーム」のオープンは全国から注目された。
1993年のプレオープンの日、施設内で働くことになったアルバイトの女の子たちが、自分たちがスターにでもなったように上気した顔をしていたのを今でも思い出す。
宮崎は全国でも所得水準が極めて低く、観光以外にはめぼしい産業もなかったが、シーガイアのオープンで、一躍全国に注目されたのだ。
春季キャンプの時期にはプロ野球チームも施設を利用した。私はサッカー日本代表が多目的広場で練習しているのを見たが、ラモスのもとにボールが集まるのを見て、ボランチとはこういうポジションかと理解したのを覚えている。
オープンしてからはあまり行かなくなったが、事業そのものがうまくいかなくなるまでにそれほど時間はかからなかった。今調べたら2001年に会社更生法の適用を受けたとのことだ。
フェニックスグループが経営破綻し、シーガイアだけでなく宮崎市内に持っていたホテルもすべて身売りとなり(フェニックスホテルのカレーは最高だったのだが)。佐藤棟良は2015年、失意のうちに死んだ。
それから10年ほどして、私は再び宮崎に行くようになった。今度はプロ野球や、一般企業の取材などだ。
本当に驚いたのは、宮崎の町の衰亡だった。鉄道の便は少なくなった。鳴り物入りで走るようになった日輪シーガイア号も色あせた。商店街は活気がなく、とにかく老人の姿が多かった。
春季キャンプではオリックス、ソフトバンク、巨人のキャンプ地に人が集まるが、往時の賑わいとは一桁違う感じだ。

最近はJR宮崎駅前が再整備され、コミュプラザとなった。きれいになったのはいいが、人はそれほどいない印象だ。売っているものが「全国区」ばかりであり、要するに観光目当てではなく、地元の集客なのだろう。
少し中心街を外れると極端に寂れた街並みが続くのはどこの待ちも同じではあるが、宮崎はとりわけそんな印象が強い。
新型コロナ禍で、宮崎も打撃を受けている。「観光」の2文字が吹っ飛んだからだ。最近は観光協会もCMを打っているが、「ノーアイデア」という内容で、なかなか決め手がないようだ。
福岡は来るたびに大きな町になっていくし、熊本も近代化が進んでいる。長崎、大分、鹿児島はあまり知らないが、宮崎は「決め手に欠く」というのが私の率直な印象だ。

2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!


私は工事現場の一室で広告関連の企画をし、事業者と毎日打ち合わせをしていた。事業者は宮崎県、宮崎市、JTB、銀行筋、航空会社などから出向した寄せ集まりであり、余りまとまりはなかった。
事業の旗振り役は地元のフェニックスグループであり、その創業者の佐藤棟良が事業の顔だった。この人はダンロップフェニックストーナメントの大スポンサーでもあり、ジャンボ尾崎はこの人の前では大きな体を折り曲げて膝まづいて話を聞いていた。
私は2回ほど話を聞いたが、立派な大人が佐藤棟良に会うと涙ぐんだりしていた。カリスマとはこういう人のことを言うのだろう。
宮崎のテレビは、毎日のエンディングで、佐藤棟良が歌う歌を流していた。宮崎日日新聞は連日佐藤を讃えていた。
この人は大阪での新聞用紙の会社旭洋を設立して財を成したが、読売新聞が大阪に進出するうえで大いに功績があった。そういう関係で読売新聞と極めて近かった。また福田赳夫のパトロンでもあった。
とにかく宮崎は景気が良くて、町が生き生きしていた。メイン施設である「オーシャンドーム」のオープンは全国から注目された。
1993年のプレオープンの日、施設内で働くことになったアルバイトの女の子たちが、自分たちがスターにでもなったように上気した顔をしていたのを今でも思い出す。
宮崎は全国でも所得水準が極めて低く、観光以外にはめぼしい産業もなかったが、シーガイアのオープンで、一躍全国に注目されたのだ。
春季キャンプの時期にはプロ野球チームも施設を利用した。私はサッカー日本代表が多目的広場で練習しているのを見たが、ラモスのもとにボールが集まるのを見て、ボランチとはこういうポジションかと理解したのを覚えている。
オープンしてからはあまり行かなくなったが、事業そのものがうまくいかなくなるまでにそれほど時間はかからなかった。今調べたら2001年に会社更生法の適用を受けたとのことだ。
フェニックスグループが経営破綻し、シーガイアだけでなく宮崎市内に持っていたホテルもすべて身売りとなり(フェニックスホテルのカレーは最高だったのだが)。佐藤棟良は2015年、失意のうちに死んだ。
それから10年ほどして、私は再び宮崎に行くようになった。今度はプロ野球や、一般企業の取材などだ。
本当に驚いたのは、宮崎の町の衰亡だった。鉄道の便は少なくなった。鳴り物入りで走るようになった日輪シーガイア号も色あせた。商店街は活気がなく、とにかく老人の姿が多かった。
春季キャンプではオリックス、ソフトバンク、巨人のキャンプ地に人が集まるが、往時の賑わいとは一桁違う感じだ。

最近はJR宮崎駅前が再整備され、コミュプラザとなった。きれいになったのはいいが、人はそれほどいない印象だ。売っているものが「全国区」ばかりであり、要するに観光目当てではなく、地元の集客なのだろう。
少し中心街を外れると極端に寂れた街並みが続くのはどこの待ちも同じではあるが、宮崎はとりわけそんな印象が強い。
新型コロナ禍で、宮崎も打撃を受けている。「観光」の2文字が吹っ飛んだからだ。最近は観光協会もCMを打っているが、「ノーアイデア」という内容で、なかなか決め手がないようだ。
福岡は来るたびに大きな町になっていくし、熊本も近代化が進んでいる。長崎、大分、鹿児島はあまり知らないが、宮崎は「決め手に欠く」というのが私の率直な印象だ。

2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】
私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!
↓
好評発売中!
コメント