謝罪コメントを見て、高梨沙羅は「昭和の時代」に生きているんだなと思った。
「今回、私の男女混合団体戦での失格で日本チーム皆んなのメダルのチャンスを奪ってしまったこと、そして、今までチームを応援してくださった皆様、そこに携わり支えて下さった皆様を深く失望させる結果となってしまった事、誠に申し訳ありませんでした」
「私の失格のせいで皆んなの人生を変えてしまったことは変わりようのない事実です。謝ってもメダルは返ってくることはなく責任が取れるとも思っておりませんが今後の私の競技に関しては考える必要があります。それ程大変なことをしてしまった事深く反省しております」


彼女は自分で選択したとはいえ「規定内」と考えられていたスーツを着て競技をしていた。同じスーツで個人競技は飛んで違反とはされなかったのだ。
彼女自身に問題がないのは明らかだが、それでも彼女はここまで謝罪した。

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その背景には、日本の旧弊で愚かしい価値観がある。日本では、どんなことでも、当事者を責める理屈は存在するのだ。

「個人競技はパスしたと言っても、スーツの規定が厳しいのはわかっていたのだから、再度確認するなどやるべきことはあったはずだ。トップ選手として慎重さが足りなかったのではないか」

昔のスポーツ指導者なら、この手の「後付け」の理屈で、選手を責める人が結構いた。学校の教師や、頭の固い親もこの手の理屈を言いがちだった。言うだけならだれにでもいえるのだ。
さらに
「あんなにメイクをして。気持ちが浮ついているから、こんなミスをするんだ」

という人も少なからずいるだろう。

高梨は、そういう人たちの存在を意識して土下座に等しい謝罪をしたのだ。日本は嫌な国だとは思う。

ただ、高梨はそれと共に「自分を罰してしまいたい」という自らへの「処罰感情」を持ってしまっているのではないかと思う。
どこにもやり場のないやるせない気持ち、いらだちを「自分を責める」ことで多少なりともまぎらわしたいという「気持ち」が、自身を処罰する方向に向かってしまった可能性はあるだろう。

女子ジャンプ界では圧倒的な史上最多勝を誇り、誰が見ても圧倒的な第一人者でありながら、金メダルを取ることができなかった。その理不尽が、すべてをスポーツにささげてきた彼女のメンタルを責め苛んでいるのではないか。

できることはただ一つ。「忘れること」だ。そして「私は悪くない」と振り切ることだ。彼女は進退にも言及しているが、メダルが取れなかったことで「もう4年頑張る口実ができた」と思えばよいと思う。
スポーツは「自分のため」にやるのだ。「国」だの「郷里」だの、そんなくだらないもののためにやるものではない。
「大好きなジャンプを、もう4年間続けることができる」と思って頑張ればいい。29歳の高梨はどんなメイクをしているか知らない。そしてどんな結果に終わるか知らないが、美しい笑顔でキャリアを締めくくってほしい。


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