井上公造は渡部建について「不倫をした芸能人と薬物で捕まった芸能人って、薬物で捕まった芸能人の方が復帰が早かったりする。これはどう考えてもおかしいでしょう?と思うわけですよ」と言った。
これは世間一般の感情とはかなり乖離していると思う。
渡部建は、犯罪者ではない。裁判所で有罪になったわけではない。不倫は一方が訴えない限り裁判沙汰にはならない。あくまでプライベートなトラブルであり、不倫をしていても、それだけで世間から非難されるものではない。これに対し違法薬物の所持、使用は明らかな犯罪であり、両者を比較するのがそもそもおかしい。
渡部建は罪を犯したから失脚したわけではなく、世間に大きなショックを与える背信行為が文春によって発覚したことで世間に顔出しができなくなったわけだ。
不倫には、いろいろなパターンがある。すでに何年も別居していて、実質的に夫婦関係が破綻していて別のパートナーがいる場合も不倫だし、渡部のように配偶者と子供がいて家庭生活を営むかたわらで、隠れて他の女性と交際していた場合も不倫だ。
不倫のインパクトは、配偶者との現時点での関係、そして不倫の状況によって大きく異なる。渡部の場合、おしどり夫婦とまで言われるくらいに仲が良いとされ、幼い子供もいた。渡部は妻と子を裏切る形で日常的に不倫をしていた。渡部の不倫のインパクトが最大級になったのは、妻が屈指の人気女優の佐々木希だったこと、そして不倫の状況が「多目的トイレ」という具体的な形であからさまになったからだ。

渡部がやったことは犯罪ではないが、世間の人々は渡部の行為に目をそむけたくなるような嫌悪感を抱いたのだ。薬物犯罪であれば、一定の謹慎期間が過ぎて、薬が完全に体から抜ければ、そして本人が殊勝にしていれば世間が許してくれる可能性はある。端的に言えば「世間が彼の罪を忘れてくれる」のだ。
しかし渡部の場合、年月が経っても世間は彼の背信行為を強烈に憶えている。「忘れられない」。佐々木希の美しい顔を見れば、そのことを思い出すし、多目的トイレを見れば、渡部を思い出す。
これは、いかんとも仕方がない。忘れてくれと世間にお願いしても、いっかなことでは忘れてくれそうにない。
渡部はお笑い芸人であり、小さな過ちであれば、笑い話にすることができるが、渡部がやったことは「シャレにならない」。
同じ時期に水泳選手の瀬戸大也の不倫が発覚した。瀬戸の妻も馬淵優佳という有名人であり、瀬戸の不倫は子供を保育園に預けたその足で女性に会うというひどいものであり、これもインパクトが強かった。しかし、瀬戸は水泳に復帰した。妻とは別居したとの報道もあるが、離婚はしていない。
これ、事件の一つ一つの構成要素が、渡部の事件とは少しずつ異なるのだ。
まず瀬戸はアスリートであり渡部とは本業のステージが異なる。瀬戸はプールの中でパフォーマンスすればいいのであり、渡部のように人前に顔をさらさして話さなくてもよい。そして妻の馬淵優佳は有名人ではあるが、佐々木希よりははるかに小粒だ。さらに保育園送り不倫は、多目的トイレより具体性に乏しくはるかにインパクトが小さい。これらの要素を掛け合わせて瀬戸大也は「ぎりぎりセーフ」、渡部は「アウト」なのだ。
スポーツ選手の不倫には、世間は甘い傾向がある。あるライターは「プロ野球選手は近寄ってくる女性は自分と寝たがっていると思っている」と言ったが、プロ野球選手の不倫はたびたび発覚する。原辰徳、阿部慎之助、福留孝介、西勇輝など枚挙にいとまがないが、不倫単発で失脚することはほとんどない。
清田育宏のように「不倫連発しかもコロナ禍」のような合わせ技でもない限り、世間は野球選手の不倫は「しゃあないな」と許してしまうのだ。清原和博も不倫の挙句離婚しているが、彼が失脚したのは「本物の犯罪」である覚せい剤取締法違反であり、不倫で失脚したわけではない。
同じ不倫でも、当事者の所属する業界、身分、ステイタス、発覚の状況などによって、世間の感情は大きき異なるのだ。
渡部をほとんど再起不能にするまでに叩いた「文春砲」は、ジャーナリズム史に記憶されるだろう。そう思わない人も多いだろうが、私は文藝春秋はすごい仕事をしたと思う。
瀬戸の悪事は忘れても、渡部の悪事は忘れない。理不尽かもしれないが、それが「世間」というものだ。おそらく渡部は世間が忘れてくれるまで、芸人としての復活は難しいのではないか。
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渡部建は、犯罪者ではない。裁判所で有罪になったわけではない。不倫は一方が訴えない限り裁判沙汰にはならない。あくまでプライベートなトラブルであり、不倫をしていても、それだけで世間から非難されるものではない。これに対し違法薬物の所持、使用は明らかな犯罪であり、両者を比較するのがそもそもおかしい。
渡部建は罪を犯したから失脚したわけではなく、世間に大きなショックを与える背信行為が文春によって発覚したことで世間に顔出しができなくなったわけだ。
不倫には、いろいろなパターンがある。すでに何年も別居していて、実質的に夫婦関係が破綻していて別のパートナーがいる場合も不倫だし、渡部のように配偶者と子供がいて家庭生活を営むかたわらで、隠れて他の女性と交際していた場合も不倫だ。
不倫のインパクトは、配偶者との現時点での関係、そして不倫の状況によって大きく異なる。渡部の場合、おしどり夫婦とまで言われるくらいに仲が良いとされ、幼い子供もいた。渡部は妻と子を裏切る形で日常的に不倫をしていた。渡部の不倫のインパクトが最大級になったのは、妻が屈指の人気女優の佐々木希だったこと、そして不倫の状況が「多目的トイレ」という具体的な形であからさまになったからだ。

渡部がやったことは犯罪ではないが、世間の人々は渡部の行為に目をそむけたくなるような嫌悪感を抱いたのだ。薬物犯罪であれば、一定の謹慎期間が過ぎて、薬が完全に体から抜ければ、そして本人が殊勝にしていれば世間が許してくれる可能性はある。端的に言えば「世間が彼の罪を忘れてくれる」のだ。
しかし渡部の場合、年月が経っても世間は彼の背信行為を強烈に憶えている。「忘れられない」。佐々木希の美しい顔を見れば、そのことを思い出すし、多目的トイレを見れば、渡部を思い出す。
これは、いかんとも仕方がない。忘れてくれと世間にお願いしても、いっかなことでは忘れてくれそうにない。
渡部はお笑い芸人であり、小さな過ちであれば、笑い話にすることができるが、渡部がやったことは「シャレにならない」。
同じ時期に水泳選手の瀬戸大也の不倫が発覚した。瀬戸の妻も馬淵優佳という有名人であり、瀬戸の不倫は子供を保育園に預けたその足で女性に会うというひどいものであり、これもインパクトが強かった。しかし、瀬戸は水泳に復帰した。妻とは別居したとの報道もあるが、離婚はしていない。
これ、事件の一つ一つの構成要素が、渡部の事件とは少しずつ異なるのだ。
まず瀬戸はアスリートであり渡部とは本業のステージが異なる。瀬戸はプールの中でパフォーマンスすればいいのであり、渡部のように人前に顔をさらさして話さなくてもよい。そして妻の馬淵優佳は有名人ではあるが、佐々木希よりははるかに小粒だ。さらに保育園送り不倫は、多目的トイレより具体性に乏しくはるかにインパクトが小さい。これらの要素を掛け合わせて瀬戸大也は「ぎりぎりセーフ」、渡部は「アウト」なのだ。
スポーツ選手の不倫には、世間は甘い傾向がある。あるライターは「プロ野球選手は近寄ってくる女性は自分と寝たがっていると思っている」と言ったが、プロ野球選手の不倫はたびたび発覚する。原辰徳、阿部慎之助、福留孝介、西勇輝など枚挙にいとまがないが、不倫単発で失脚することはほとんどない。
清田育宏のように「不倫連発しかもコロナ禍」のような合わせ技でもない限り、世間は野球選手の不倫は「しゃあないな」と許してしまうのだ。清原和博も不倫の挙句離婚しているが、彼が失脚したのは「本物の犯罪」である覚せい剤取締法違反であり、不倫で失脚したわけではない。
同じ不倫でも、当事者の所属する業界、身分、ステイタス、発覚の状況などによって、世間の感情は大きき異なるのだ。
渡部をほとんど再起不能にするまでに叩いた「文春砲」は、ジャーナリズム史に記憶されるだろう。そう思わない人も多いだろうが、私は文藝春秋はすごい仕事をしたと思う。
瀬戸の悪事は忘れても、渡部の悪事は忘れない。理不尽かもしれないが、それが「世間」というものだ。おそらく渡部は世間が忘れてくれるまで、芸人としての復活は難しいのではないか。
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コメント
コメント一覧
渡部が自殺でもしないと納得しないんでしょうかね。
もう怒っていないと思うんですよ。嫌いになってしまっただけで。
無辜の性の快楽者が使えなくしたことだ。