パ・リーグはDH制の2年前に「前後期制」を導入した。悪制と言えば、これほどひどいものはなかったと思う。
セ・リーグよりも人気面で大きく劣るパ・リーグが「ペナントレースの盛り上がりを年に2回作ることができる」「それに日本シリーズの前にプレーオフで盛り上がりを作ることができる」として、導入したわけだ。
1年目の前期は、南海ファンにとってはうれしい結果になった。すでに斜陽の傾向が見えていた南海は、1966年以来、優勝から遠ざかっていた。それがこの年の前期はロッテに2差をつけて優勝、後期は阪急に13ゲーム差をつけられて3位に沈んだ。

プレーオフも南海劣勢が予想されたが、南海は3勝2敗で阪急を下して日本シリーズに進出した。野村克也監督にとっては初優勝だ。
南海ファンにとっては万々歳ではあったが、シーズン通算の成績で見ると、非常におかしなことになっていた。

前後期のペナントレース

1973PL-01


南海は前期2差で優勝するも、後期はかろうじて5割をキープ。阪急は前期は3.5差で3位だったが、後期はロッテに5.5差をつけて優勝。そしてロッテは前後期ともに2位だった。

これを通期で見るとこうなる。

1973PL-02


勝率が唯一6割を超えた阪急が2位、前後期とも2位のロッテが3位で、通期では阪急に9.5差をつけられた南海が「リーグ優勝」だったのだ。
当時、ロッテファン、阪急ファンががぼやいていたのをよく覚えている。
このシーズンの南海は「死んだふり優勝」と言われ、野村克也は「謀将」みたいな言い方をされた。
野村南海の優勝はこの年だけだ。
私は日本シリーズを楽しみにしていたが、中3で成績が良くなかったために見せてもらえなかった。巨人に簡単に負けたのをスポーツニュースで見た。

こういう矛盾がしょっちゅうあったのだ。それどころか、1976年などは前後期ともに阪急が優勝してプレーオフが消滅してしまったのだ。

結局、2シーズン制はそれほど観客動員に貢献することはなく「なんだかややこしいルールだな」という印象を与えただけで、1982年を最後に廃止された。

今のクライマックスシリーズにも批判の声は大きいが、昔の前後期制に比べればかなりマシだったように思う。

記録だけを見ればDH制や前後期制など、いろんなことをすればするほど公平性、妥当性が損なわれるとは思うが、リーグの盛り上がりを考えれば、こうした「振興策」は重要なのだ。

私はポストシーズンを無理なく充実させるにはエキスパンションしたうえで地区を分けるしかないと思うが、今後も何らかの工夫は必要だろう。


2021年山本由伸、全登板成績【投手五冠にリーグ優勝に金メダル】

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!